1360年の歴史を感じる水城。
水城跡の特徴
コスモス畑が広がる秋の美しい風景に感動しました。
奈良時代に築かれた防御目的の土塁が存在する史跡です。
四季折々の自然が楽しめる歴史的な散歩道です。
2025.3.30.sun丁度見頃の桜が圧巻です⚡⚡日曜日なので ファミリー層の方も多いですねーゆったり のんびり出来ますよー🤩🤩🤩
唐新羅連合軍の襲来に備えて、大宰府を守るために作られた水城。その600年後、元寇襲来があった。昔も今も争いは絶えない。
☆約1360年前の現存する国土防衛用の城壁「国指定特別史跡」天智天皇3年(664年)、福岡平野の狭小部に築かれた総延長1.2㎞の土塁、実際に目の当たりにすると大きい、基底部約80m×高さ約9m、昔は博多湾側に幅約60m×深さ約4mの外濠があったとは凄い土木作業‼️一部欠落するも良く1360年も残った土塁、水城跡沿いの自然歩道から土塁の上にも上がれました高さ実感😲訪問時には発掘調査中でした、何となく水城の版築の表面が実際に見れたような🤔日本100名城&続日本100名城【No.182】
この辺り(中央エリア)はひとけが無いですが、国指定史跡なので手入れがされています。散策するには、よい雰囲気でした。春先はまた格別だと思います。外敵を防ぐための長堤が築くのに適した、東西に山地が迫った狭隘な地形に鉄道・高速を含む幹線道路が集中していてまさに九州の大動脈(頸動脈?)、交通の要衝です。ここは静かに時が流れていますが、彼方には車や電車が(ときどき飛行機も)目まぐるしく行き交っているのが、なんだか不思議で、楽しい時間でした。ちなみにJR水城駅から、「水城堤」伝いに大野城の山すそまで行こうと目論見ましたが、御笠川に橋が架かっておらず、西鉄大牟田線にも踏切がなく、南北どちらかに大きく迂回を余儀なくされます。ちなみにちなみに、その水城堤と御笠川の接点当たりの川底から、原型をより留めている鬼瓦が発掘されています。この場所には水門があったという説もありますが、鬼瓦は破損が少ないことから、水城に関連した建造物に用いられていたのではと推定されています。
20240406雨が降り始める直前でお天気が微妙だったが、キレイな桜が見られた。近づくと結構葉桜も多くなっていたが、遠目だと満開に見える。黄色の花も終わりかけだったが、どちらも満開の時期は圧巻の景色が見られそう。近くに無料駐車場あり。
水城は中大兄皇子が白村江の戦いに敗れた後、太宰府を守るために大野城のある大城山と[西側の大野城市牛頸の台地の間を塞ぐ形で築いた大堤で、北側に水堀を備えています。現在も道路や鉄道で一部の提が崩されていますが、春には桜を見ながら散策を楽しめます。
隣国から攻められた時の防衛目的のために作られた土塁。これだけの土塁を必要とする当時の状況や投じた労力・物資など想像を絶します。これだけの規模の土塁を間近に見ると実感できます。
| 名前 |
水城跡 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
092-921-2121 |
| 営業時間 |
[金土日月火水木] 24時間営業 |
| HP |
http://www.city.onojo.fukuoka.jp/s077/030/010/030/001/020/2090.html |
| 評価 |
3.9 |
| 住所 |
|
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水城は国の特別史跡に指定されており、続日本百名城に認定されている。とはいえ水城は城というよりも土の防塁(土塁)である。規模は全長1.2kmに及び幅77m?高さ9mの規模を持つ。今は失われているが、かつてはこの防塁の内外に幅40m程度の堀まであったという。現在も道路などで分断されてはいるが、この水城の遺構がかなりの規模で残されている。正直地味ではあるが、7世紀の国家事業であり、平野部で1300年が経過してもしっかり残っているのは驚きである。白村江の戦いで唐・新羅連合軍に敗れた大和朝廷は大陸勢力の日本本土への侵攻を恐れ九州〜中四国、畿内各地に各種防衛施設を建造した。今も点々と当時の遺構が残されている。特に北部九州は朝鮮半島に近いこともありこの水城や至近の大野城、少し南にある基肄城などが建造された。水城、大野城は至近の位置にある当時の九州の中心太宰府政庁防衛の目的で造られたものであろう。敵が北部九州に上陸した場合、遮るもののない福岡平野を南下してくるはずであり、なんとかこの位置で食い止めるべく建造されたのだろう。水城単独でわざわざ見学に来るのはちょっと微妙なので大野城とセットでの見学をおすすめする。