豪華絢爛の綱宗廟。
善応殿の特徴
豪華絢爛な伊達綱宗の霊廟が特徴的です。
瑞鳳殿に隣接し、歴史を感じる場所です。
林に囲まれた静かな環境で安らげます。
瑞鳳殿への参道を進むと途中で道が二手に分かれる。瑞鳳殿(伊達政宗公の霊屋)へは左方向に進むが、右方向(順路としては逆)の先にあるのが二代藩主と三代藩主の霊屋である。こちらの「善応殿」は三代藩主である伊達綱宗公(1640-1711)の霊屋。本殿、唐門、拝殿、廟門等からなり、瑞鳳殿、感仙殿と比べると簡素な装飾ではるものの、落ち着いた佇まいである。昭和20年の戦災で焼失しており、こちらは昭和60年に感仙殿とともに再建されたものとなる。再建にあたっての資料が乏しかったことから、綱宗公が好んで描いた「鳳凰」と「牡丹」を装飾に採用している。2025.10 訪問。
オリジナルはアメリカ軍の仙台空襲を受け焼失。現在のものは昭和に復元されてものです。熊がいなくて良かった♪😆令和7年12月参拝。
仙台藩3代藩主伊達綱宗の御霊屋。綱宗は2代藩主伊達忠宗の六男になります。瑞鳳殿と同じく空襲で焼失し、現在の善応殿は昭和に再建されたものになります。
伊達家霊屋手前が三代綱宗、奥が二代忠宗霊屋(たまや)とは霊が眠る場所のこといわゆるお墓のようなもの。
善応殿は三代藩主伊達綱宗公(1640-1711)の霊屋で、享保元(1716)年、五代吉村公の時代に竣工しています。本殿、唐門、拝殿、廟門等からなり、先の瑞鳳殿、感仙殿よりは簡素な装飾であったものの、落ち着いた佇まいの風情ある霊屋であったと伝えられます。明治初年に感仙殿同様、本殿以外の建物は破却され、本殿もまた昭和20年の戦災で焼失しました。昭和60年感仙殿とともに再建されました。善応殿には焼失以前の資料が乏しかったため、種々の検討の結果、綱宗公が好んで描いた「鳳凰」と「牡丹」を装飾に採用しています。綱宗公の死去は殉死の禁令以後の事であったため殉死者はなく、家臣が出家して菩提を弔うという「擬殉」が行われました。善応殿の左前には擬殉者熊谷斎直清の墓があります。
綱宗公廟です。🪦しっかり立派なお墓です。👍
ここには伊達家2代、3代が眠っておられます。しずかな木立の中で雰囲気があります。
瑞鳳殿と同じく豪華絢爛。
伊達政宗と同じ敷地内にある三代目綱宗の霊廟。自然に囲まれた中に、ある豪華なお墓。
| 名前 |
善応殿 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
022-262-6250 |
| 営業時間 |
[土日月火水木金] 9:00~16:30 |
| HP | |
| 評価 |
4.3 |
| 住所 |
|
周辺のオススメ
善応殿は三代藩主伊達綱宗公(1640-1711)の霊屋で、享保元(1716)年、五代吉村公の時代に竣工しています。本殿、唐門、拝殿、廟門等からなり、先の瑞鳳殿、感仙殿よりは簡素な装飾であったものの、落ち着いた佇まいの風情ある霊屋であったと伝えられます。明治初年に感仙殿同様、本殿以外の建物は破却され、本殿もまた昭和20年の戦災で焼失しました。昭和60年感仙殿とともに再建されました。善応殿には焼失以前の資料が乏しかったため、種々の検討の結果、綱宗公が好んで描いた「鳳凰」と「牡丹」を装飾に採用しています。綱宗公の死去は殉死の禁令以後の事であったため殉死者はなく、家臣が出家して菩提を弔うという「擬殉」が行われました。善応殿の左前には擬殉者熊谷斎直清の墓があります。善應殿為第三代藩主 伊達綱宗公(1640-1711)的靈廟,於享保元年(1716 年),在第五代藩主 伊達吉村公 時期完工。建築由本殿、唐門、拜殿、廟門等構成。雖然裝飾不若先前的瑞鳳殿、感仙殿華麗,但相傳是一座風格沉穩、氣氛靜謐、極具風情的靈廟建築。明治初年,與感仙殿相同,本殿以外的建築遭到拆除,而本殿亦於昭和 20 年(1945 年)戰災中燒失。現今所見之善應殿,為昭和 60 年(1985 年)與感仙殿一同重建的建築。由於善應殿在燒失前所留存的史料相當有限,經多方考證與討論後,重建時採用了綱宗公生前喜愛的「鳳凰」與「牡丹」 作為主要裝飾主題。綱宗公辭世時,已是在殉死禁令頒布之後,因此並無殉死者出現,改由家臣出家為僧、為主君追悼冥福的形式,稱為「擬殉」。在善應殿左前方,可見擬殉者 熊谷齋直清 之墓。