中津隊の志士を称える碑。
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| 名前 |
西南役中津隊之碑 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
4.5 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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明治10年(1877年)の西南戦争において、西郷隆盛率いる薩摩軍に呼応して挙兵した「中津隊」の志士たちを顕彰・追悼するために建てられた記念碑です。中津隊の結成と挙兵明治10年(1877年)、西郷隆盛の挙兵を知った中津の青年士族らは、明治政府の藩閥専制政治に対する反発と「義」のために立ち上がることを決意しました。福澤諭吉の親戚筋であり弟子でもあった増田宋太郎(ますだ そうたろう)を隊長とし、約150名の有志によって「中津隊」が結成されました。隊長・増田宋太郎と福澤諭吉増田宋太郎は、慶応義塾で学んだ知識人であり、中津で新聞を発行するなど言論活動も行っていました。福澤諭吉の思想である「独立自尊」に強い影響を受けつつも、言論だけでなく行動をもって政府の不義に抗議すべきだと考え、西郷軍への合流を選択しました。西南戦争での激闘と最後中津隊は薩摩軍の配下として熊本城の攻囲戦や各地の激戦(田原坂など)に参戦しました。しかし戦況の悪化とともに追い詰められ、隊長の増田宋太郎をはじめ多くの隊員が鹿児島・城山などで討ち死に・自決を遂げるという壮絶な最後を迎えました。碑文に込められた意味かつては「朝敵(政府に対する反乱軍)」とされた中津隊ですが、彼らの抱いた純粋な気概と郷土への思いを後世に伝えるため、中津城跡の二ノ丸広場近くにこの碑が建てられました。福澤諭吉を生んだ学問の街・中津において、時代に翻弄された若者たちの葛藤と悲劇を静かに物語っています。