歴史を感じる高安寺で 平安時代の息吹を体感!
曹洞宗 龍門山 高安寺の特徴
平安時代に建立された古刹、高安寺で歴史を感じるひとときが過ごせます。
足利尊氏が開基の曹洞宗寺院、龍門山等持院を訪れればその由緒が体感できます。
巨大な山門と美しい龍画が圧巻、訪れる価値のある文化財に指定されています。
2025.6.30こうあんじ室町幕府初代将軍足利尊氏が開基した曹洞宗の寺院。寺伝によると源義経と武蔵坊弁慶が何度も参詣し、義経らが奉納したと伝わる大般若経や、弁慶硯の井戸が残されています。高安寺の境内は東向き。境内は大國魂神社の北西に鎮座し、入口は北側にあります。本尊: 釈迦牟尼佛像札所等: 多摩川三十四ヶ所観音霊場第33番札所(結願寺)現在の本堂は享和3年(1803)、山門は明治5年(1872)、鐘楼は安政3年(1856)の建立で、東京都選定歴史的建造物に指定されています。参道に踏み入ると右側に六地蔵、珍しい坐像です。弥勒菩薩像、双体道祖神、干支本尊などがあり、山門に出ます。個人的には高安寺で一番目を引くのは山門です。立派な二重門で、入口側は仁王(阿吽)、裏側には地蔵尊と奪衣婆が配置されています。木鼻には雅楽器を演奏する迦陵頻迦の彫刻。絢爛豪華です。更に天井画まであります。境内には様々な像があり、府中の名木百選に選ばれた大きな木もあります。コウヤマキ、タラヨウの木、ヒヨクヒバ、クスノキ、他に桜や百日紅もありました。墓地の方にはケヤキ並木もあります。鐘楼、観音堂、地蔵堂等もあります。秀郷稲荷は、藤原秀郷を祀る社で、高安寺の鎮守として建立されました。
今日4月8日に行われるお釈迦様の誕生日を祝う仏教の行事の花まつり。高安寺さんの檀家ではありましたが初めてお参りしました。花で飾られた小さなお堂(花御堂)の中に安置された誕生仏に、甘茶をかけ、こちらも甘茶の接待を受け大変美味しくいただきました。また可愛い園児も参加しており賑やかな雰囲気で癒されてきました。
御朱印頂きに参拝いたしました。御朱印は書き置きのみみたいです。書き置きの御朱印は、大きいサイズと、小さいサイズがありました。
府中の分倍河原駅近くの古刹。建物も荘厳ですが道元の立像が素晴らしい。ありがたい。室町幕府の将軍足利尊氏(1305-1358)が、元々この地にあった市川山見性寺を再興し、龍門山高安護国禅寺と号したのがはじまりとされ、尊氏が改名する前の高氏から名づけられたとされています。それ以前の寺は平将門を討ち取った功績で武蔵野守となった藤原秀郷の館跡であったと伝えられています。尊氏は国と人々の平和を願って全国に安国寺や利生塔を建てました。武蔵国の安国寺が高安寺です。しかし鎌倉時代末期から南北朝の戦乱の時代には、崖の上にあったためこの寺はしばしば合戦の本陣となりました。曹洞宗。現在の本堂は享和3年(1803)、山門は明治5年(1872)、鐘楼は安政3年(1856)の建立で、東京都選定歴史的建造物に指定されています。とのこと。
平安時代に建立された歴史の長い古刹。源義経がこの寺に立ち寄り、武蔵弁慶と大般若経を書き写したと言われ、墨をする水を汲んだ井戸があります。南北朝時代には、新田義貞が分倍河原の合戦でここに本陣を構え、一連の戦乱によって寺が炎上するなどして荒廃してしまったが、足利尊氏が安国寺の一つとしてこの寺を位置づけ、室町幕府の保護を手厚く受けたそうです。また、鎌倉街道と甲州街道が交わるあたりでもあり、戦術上の要地として、歴代の鎌倉公方などの陣所として使用されたみたいですよ。現在の本堂は享和三年(1803年)の冉建。
東京都下は府中市に有ります古刹「高安寺」です。この寺は様々な時代の、超の付く有名人に関わりが有り、非常に興味深い古刹です。時系列に明記してみます。まず創建年は不明ながら、平安時代に藤原秀郷の居館がこの場所に有りました。その後、藤原秀郷の居館跡に寺を普請し「見性寺」としました。高安寺の旧名称です。それがここ高安寺の始まりとされています。平安時代が草創ですかね。(因みに藤原秀郷は、平貞盛と共に「将門の乱」を鎮圧し、平将門を討った人物です)また見性寺という名称の頃の鎌倉時代元年の1185年には、源頼朝の怒りを買い鎌倉入りを禁止され京に引き返す途中の源義経と弁慶が、この寺に立ち寄り頼朝からの赦免を祈願し写経をしています。南北朝時代には、新田義貞が分倍河原の戦いの際に、この寺に本陣を構えたとか。そして同じく南北朝時代に足利尊氏が開基として、名称を高安寺に変更した様です。足利尊氏の旧名「高氏」から一文字取り高安寺とした様です。凄いですね。藤原秀郷、源義経、武蔵坊弁慶、新田義貞、そして足利尊氏。そうそうたる歴史上の人物がこの地に関わっています。また戦国時代には小田原北条氏の篤い庇護をこの寺は受けました。そして小田原北条氏滅亡後の江戸時代に、この地は最終的に徳川家康の家臣であった高林【市左衛門】吉利という武将(府中領の最初の代官)に所領として拝領されました。その後、四代で100年ほど高林家がこの地を治めました。そして、ここ高安寺は新田義貞をはじめ様々な武将が陣を敷いた事から「高安寺城(城跡)」という別の顔も持っています。見どころは非常に立派な山門でしょうか。複雑かつ緻密に組み立てられた建物は、ずっと見ていても飽きる事は有りません。素晴らしい。ここまで美しい山門はなかなか有りません。因みに、山門の天井には龍の絵が画かれていました。(山門自体はそれほど古くは無く、明治時代の普請との事です)あとは、源義経と弁慶が滞在した際に弁慶が水を汲んだとされる古井戸が寺の一番奥に有ります。樹齢数百年の感じの大樹も数本有ります。この古刹も行って損無しです。これ本当です。文句無し星5つですね自分は。是非にブラリと散歩してみましょう。
最寄り駅 京王線分倍河原駅徒歩5〜10分拝観料は無料山号 龍門山宗派 曹洞宗本尊 釈迦牟尼佛像平安時代に藤原秀郷が武蔵国府近郊に置いた居館を市川山見性寺に改めたのが始まりとされる。平家滅亡後に鎌倉入りを許されなかった源義経もこの寺に立ち寄って、武蔵坊弁慶が大般若経を書き写したと言われている。南北朝時代には新田義貞が分倍河原の合戦で本陣を構えている。これら一連の戦乱によって、寺が炎上するなどして見性寺は荒廃した。そこで暦応年間(北朝、1340年前後)に入ると、足利尊氏が建長寺の大徹禅師を開山として招き、臨済宗の禅寺に改めて再興した。この際、尊氏が進めていた安国寺の一つとしてこの寺を位置づけ、名称も尊氏の旧名(高氏)から龍門山高安護国禅寺と命名された。との事です。山門が立派な作りで彫刻など素晴しい出来栄えで見ていて飽きません。仁王像と地蔵菩薩、奪衣婆なども見応えがあります。その他銅造りの仏像、観音堂等など見所満載の歴史あるお寺ですがお寺の端にある弁慶硯の井戸(べんけいすずりのいど)があり京都からの岐路で鎌倉に入れない間にこのお寺に来たとの事ですが遠回りしたんですかね?経緯がわかりませんが余り舗装もされていない場所にひっそりと佇んでいます。
足利尊氏が開基と伝えられる高安寺。府中を代表する寺院のひとつと言えるでしょう。
紅葉散策を兼ねて家族で高安寺へ。ハケの断層うえにあるお寺で歴史を感じられます。風車の音がパラパラと秋風に吹かれ鳴っておりまして、風情があります。
| 名前 |
曹洞宗 龍門山 高安寺 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
042-361-2229 |
| 営業時間 |
[水木金土日月火] 8:00~17:00 |
| HP | |
| 評価 |
4.1 |
| 住所 |
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髙安寺は曹洞宗のお寺で、現在の本堂は享和3年(1803)、山門は明治5年(1872)、鐘楼は安政3年(1856)の建立で、東京都選定歴史的建造物に指定されています。室町幕府の初代将軍足利尊氏(1305-1358)が、元々この地にあった市川山見性寺を再興し、龍門山高安護国禅寺と号したのがはじまりとされ、尊氏が改名する前の高氏から名づけられたとされています。分倍河原駅か府中本町駅から徒歩約15分。