足利尊氏ゆかりの高安寺。
龍門山 髙安寺の特徴
平安時代に建立された古刹、高安寺で歴史を感じるひとときが過ごせます。
足利尊氏が開基の曹洞宗寺院、龍門山等持院を訪れればその由緒が体感できます。
巨大な山門と美しい龍画が圧巻、訪れる価値のある文化財に指定されています。
府中の分倍河原駅近くの古刹。建物も荘厳ですが道元の立像が素晴らしい。ありがたい。室町幕府の将軍足利尊氏(1305-1358)が、元々この地にあった市川山見性寺を再興し、龍門山高安護国禅寺と号したのがはじまりとされ、尊氏が改名する前の高氏から名づけられたとされています。それ以前の寺は平将門を討ち取った功績で武蔵野守となった藤原秀郷の館跡であったと伝えられています。尊氏は国と人々の平和を願って全国に安国寺や利生塔を建てました。武蔵国の安国寺が高安寺です。しかし鎌倉時代末期から南北朝の戦乱の時代には、崖の上にあったためこの寺はしばしば合戦の本陣となりました。曹洞宗。現在の本堂は享和3年(1803)、山門は明治5年(1872)、鐘楼は安政3年(1856)の建立で、東京都選定歴史的建造物に指定されています。とのこと。
平安時代に建立された歴史の長い古刹。源義経がこの寺に立ち寄り、武蔵弁慶と大般若経を書き写したと言われ、墨をする水を汲んだ井戸があります。南北朝時代には、新田義貞が分倍河原の合戦でここに本陣を構え、一連の戦乱によって寺が炎上するなどして荒廃してしまったが、足利尊氏が安国寺の一つとしてこの寺を位置づけ、室町幕府の保護を手厚く受けたそうです。また、鎌倉街道と甲州街道が交わるあたりでもあり、戦術上の要地として、歴代の鎌倉公方などの陣所として使用されたみたいですよ。現在の本堂は享和三年(1803年)の冉建。
東京都下は府中市に有ります古刹「高安寺」です。この寺は様々な時代の、超の付く有名人に関わりが有り、非常に興味深い古刹です。時系列に明記してみます。まず創建年は不明ながら、平安時代に藤原秀郷の居館がこの場所に有りました。その後、藤原秀郷の居館跡に寺を普請し「見性寺」としました。高安寺の旧名称です。それがここ高安寺の始まりとされています。平安時代が草創ですかね。(因みに藤原秀郷は、平貞盛と共に「将門の乱」を鎮圧し、平将門を討った人物です)また見性寺という名称の頃の鎌倉時代元年の1185年には、源頼朝の怒りを買い鎌倉入りを禁止され京に引き返す途中の源義経と弁慶が、この寺に立ち寄り頼朝からの赦免を祈願し写経をしています。南北朝時代には、新田義貞が分倍河原の戦いの際に、この寺に本陣を構えたとか。そして同じく南北朝時代に足利尊氏が開基として、名称を高安寺に変更した様です。足利尊氏の旧名「高氏」から一文字取り高安寺とした様です。凄いですね。藤原秀郷、源義経、武蔵坊弁慶、新田義貞、そして足利尊氏。そうそうたる歴史上の人物がこの地に関わっています。また戦国時代には小田原北条氏の篤い庇護をこの寺は受けました。そして小田原北条氏滅亡後の江戸時代に、この地は最終的に徳川家康の家臣であった高林【市左衛門】吉利という武将(府中領の最初の代官)に所領として拝領されました。その後、四代で100年ほど高林家がこの地を治めました。そして、ここ高安寺は新田義貞をはじめ様々な武将が陣を敷いた事から「高安寺城(城跡)」という別の顔も持っています。見どころは非常に立派な山門でしょうか。複雑かつ緻密に組み立てられた建物は、ずっと見ていても飽きる事は有りません。素晴らしい。ここまで美しい山門はなかなか有りません。因みに、山門の天井には龍の絵が画かれていました。(山門自体はそれほど古くは無く、明治時代の普請との事です)あとは、源義経と弁慶が滞在した際に弁慶が水を汲んだとされる古井戸が寺の一番奥に有ります。樹齢数百年の感じの大樹も数本有ります。この古刹も行って損無しです。これ本当です。文句無し星5つですね自分は。是非にブラリと散歩してみましょう。
最寄り駅 京王線分倍河原駅徒歩5〜10分拝観料は無料山号 龍門山宗派 曹洞宗本尊 釈迦牟尼佛像平安時代に藤原秀郷が武蔵国府近郊に置いた居館を市川山見性寺に改めたのが始まりとされる。平家滅亡後に鎌倉入りを許されなかった源義経もこの寺に立ち寄って、武蔵坊弁慶が大般若経を書き写したと言われている。南北朝時代には新田義貞が分倍河原の合戦で本陣を構えている。これら一連の戦乱によって、寺が炎上するなどして見性寺は荒廃した。そこで暦応年間(北朝、1340年前後)に入ると、足利尊氏が建長寺の大徹禅師を開山として招き、臨済宗の禅寺に改めて再興した。この際、尊氏が進めていた安国寺の一つとしてこの寺を位置づけ、名称も尊氏の旧名(高氏)から龍門山高安護国禅寺と命名された。との事です。山門が立派な作りで彫刻など素晴しい出来栄えで見ていて飽きません。仁王像と地蔵菩薩、奪衣婆なども見応えがあります。その他銅造りの仏像、観音堂等など見所満載の歴史あるお寺ですがお寺の端にある弁慶硯の井戸(べんけいすずりのいど)があり京都からの岐路で鎌倉に入れない間にこのお寺に来たとの事ですが遠回りしたんですかね?経緯がわかりませんが余り舗装もされていない場所にひっそりと佇んでいます。
足利尊氏が開基と伝えられる高安寺。府中を代表する寺院のひとつと言えるでしょう。
紅葉散策を兼ねて家族で高安寺へ。ハケの断層うえにあるお寺で歴史を感じられます。風車の音がパラパラと秋風に吹かれ鳴っておりまして、風情があります。
高安寺は、曹洞宗の寺院である。開基は室町幕府初代将軍足利尊氏であり、室町幕府によって武蔵国安国寺として位置づけられていました。見どころは、東京都選定歴史的建造物の高安寺山門、本堂、鐘楼と府中市指定文化財の観音堂です。また、高安寺秀郷稲荷とその奥にある弁慶硯の井戸も歴史を感じさせられますので、訪れてみてください。なお、高安寺は、江戸時代初期までは臨済宗の寺院でした、寺の随所に古刹としての面影を残すなど、多摩地域を代表する寺院の一つであり、是非一度は訪れたら良い寺院だと思います。
足利高氏 建造とされています東京都選定歴史的建造物(本堂 鐘楼 山門)曹洞宗大型の二天門や鐘楼が 素晴らしい弁慶 硯の井戸保存樹木にヒヨクヒバやクスなど紅梅が美しい。
2021年5月末 訪問旧甲州街道の府中から分倍河原方面に暫く歩くと、足利尊氏が開祖となる高安寺があります。道沿いの入り口は思いの外狭いことから、なかなか入ることは無かったのですが、緊急事態宣言下で文化的施設である美術館も映画館もお休みなので、折角なのでしっかり時間を掛けて観てみようと訪問しました。境内に入れば、実は中は広い! 曹洞宗のお寺であり、本堂、山門、鐘楼など東京都選定歴史的建造物に指定されているとおり、歴史を味わうことができる名刹でした。特に山門はおすすめですね。以下、府中市観光協会のホームページより抜粋です。室町幕府の将軍足利尊氏(1305-1358)が、元々この地にあった市川山見性寺を再興し、龍門山高安護国禅寺と号したのがはじまりとされ、尊氏が改名する前の高氏から名づけられたとされています。それ以前の寺は平将門を討ち取った功績で武蔵野守となった藤原秀郷の館跡であったと伝えられています。尊氏は国と人々の平和を願って全国に安国寺や利生塔を建てました。武蔵国の安国寺が高安寺です。しかし鎌倉時代末期から南北朝の戦乱の時代には、崖の上にあったためこの寺はしばしば合戦の本陣となりました。曹洞宗。現在の本堂は享和3年(1803)、山門は明治5年(1872)、鐘楼は安政3年(1856)の建立で、東京都選定歴史的建造物に指定されています。
名前 |
龍門山 髙安寺 |
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ジャンル |
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電話番号 |
042-361-2229 |
住所 |
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HP | |
評価 |
4.1 |
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御朱印頂きに参拝いたしました。御朱印は書き置きのみみたいです。書き置きの御朱印は、大きいサイズと、小さいサイズがありました。