地域の鎮守、上鈴木稲荷神社。
稲荷神社(上鈴木)の特徴
小平市にひっそり佇む、歴史深い神社です。
倉稲魂命を祀り、地域の穀物神として信仰されています。
桜と南天が共存する、趣ある自然に囲まれた神社です。
自宅を売却する際、売却祈願に行ったところその週に売れました。以前本殿に落雷が有りながらも火災にもならず霊験あらたかな神社です。管理している方は常駐していません。御朱印もありません。桜と南天が寄り添って自生しており縁起も良いです。 周りが住宅地なので静かに参拝出来ます。
お参りしてきました。
住宅街の中にある無人の小さな神社。拝殿左手には境内社の須賀神社と御岳神社がある。
2023.9.15住宅街の真中の神社。前も後ろも人の家、境内は無人で静かですが丸見えの隣の家から人が出てきそうでドキドキしました。境内の木も綺麗に伐採され、スッキリ感が…。こじんまりとした神社ですが、境内社有りました。(御岳神社、須賀神社)
小さいけど、とても良き神社です。
倉稲魂命は稲荷神ですが、穀物神としての働きは倉庫の意味もあるようです。昔は屯倉(ミヤケ)という言葉もあり、倉の神の意味合いもあったようです。ご由緒には、この玉川上水南沿いは、かつて鈴木新田に属し、 上鈴木 (現上水本町) と呼ばれており、18世紀に新田開発の際に親村である貫井村(現小金井市貫井町) から稲荷神社を勧請し、 鎮守として遷祀したとありますが、他にも稲荷がいくつか合祀されており、明治時代には下鈴木 (現鈴木町) の稲荷神社に合祀されています。そして昭和24年1月、地元住民の強い要望により、旧陸軍経理学校に祀られていた若松神社の社殿の払い下げを受け、再び上鈴木の鎮守の社として遷座されました。しかし、境内摂社に須賀神社が祀られており、須賀神社と言えば「君の名は」の舞台にもなった四谷の須賀神社と関連しています。須賀神社の原型は、速須佐之男命(スサノオ)が妻の宮を造るための土地を出雲の国に求め、須賀の地にたどり着き、「この地にやって来て、私の心はすがすがしい」と言って、その地に宮を造って住んだのがルーツです。また、須賀宮といえば熊野を指すのです。その熊野に祀られるスサノオの妻が、櫛名田比売(クシイナダヒメ)つまり稲荷の神なのです。そして、熊野といえば和歌山ですが、木姓にルーツがあります。木島、木藤などの木です。そして熊野は鈴木姓がドンピシャのルーツなのです。それでこのあたりは鈴木姓が多いという事が考えられます。そして神社の原型は実は意外にもお寺にあり、日本最初の寺は飛鳥寺と言われています。飛鳥寺を創ったのは蘇我氏ですが、蘇我氏は須賀氏とも言われています。ですから、皇室のルーツとリンクするという事も言えるのです。今でも皇室で祀られる神に園神・韓神がありますが、これも園が蘇我氏の蘇の神だということが考えられます。また、韓の神とはスサノオの渡来を意味しているとも言われており、スサノオにまつわる神社は熊野神社の他に氷川神社や神田神社、八雲神社など様々です。そしてそれらに共通する神紋は「三つ巴」なのです。恐らく、この神社でもそうした三つ巴がどこかにあるのではないかと思いますが、見つけられませんでした…ちなみに内藤姓も関係があり、近くにある内藤新田なども鈴木氏に近い親縁があるのではないかと思います。鈴木氏も遡ると藤白鈴木になりますので、皇室に近い藤姓であることが考えられます。今のような村の歴史は比較的新しく、江戸時代にはこのあたりは鬱蒼と木が生い茂る自然の景観が広がっていたと思われますが、国分寺に人が住んでいる歴史は相当古く、3万年前の遺跡も普通に存在するので、権力者たちにとっても重要な土地だったのではないでしょうか。歴史的には縄文時代から弥生時代、やがて古墳時代へと続きますが、こうした場所に倉を建てて穀物神を祀るという宗教が、古墳時代に蘇我の人達によってもたらされたという事が考えられます。また、興味深いのは陸軍の若松神社が祀られていることです。この稲荷社と合祀されているということですが、どうやら新宿区の若松河田と関係しているようです。
東京都小平市には、稲荷神社が4社あります。そのため、それぞれの稲荷神社に昔からの呼び名があります。ここ、小平市上水本町の稲荷神社は、上鈴木(かみすずき)の稲荷神社といわれています。上鈴木稲荷神社は、享保8年(1723)新田開発の際に親村である貫井村から、稲荷神社を勧請し、鎮守として遷祀したといいます。明治6年村社に列格、明治41年鈴木稲荷神社へ合祀されたものの、上鈴木の鎮守として昭和27年に還座したといいます。
東京都小平市には、稲荷神社が4社あります。そのため、それぞれの稲荷神社に昔からの呼び名があります。ここ、小平市上水本町の稲荷神社は、上鈴木(かみすずき)の稲荷神社といわれています。上鈴木稲荷神社は、享保8年(1723)新田開発の際に親村である貫井村から、稲荷神社を勧請し、鎮守として遷祀したといいます。明治6年村社に列格、明治41年鈴木稲荷神社へ合祀されたものの、上鈴木の鎮守として昭和27年に還座したといいます。
上鈴木(稲荷)神社は、享保8年(1723)新田開発の際に親村である貫井村から、稲荷神社を勧請し、鎮守として遷祀し、明治6年村社に列格、明治41年鈴木稲荷神社へ合祀されたものの、上鈴木の鎮守として昭和27年に還座したとのことです。
| 名前 |
稲荷神社(上鈴木) |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
042-344-0638 |
| HP | |
| 評価 |
3.9 |
| 住所 |
|
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上鈴木稲荷神社は、江戸時代中期、享保8年(1723年) の新田開発の折、新しく開かれた土地(鈴木新田のうち、上鈴木と称された地域)に、親村であった貫井村(現・小金井市貫井町)から稲荷神を勧請して、地域の鎮守として祀られたことに始まります。明治に入り、1873年(明治6年)には村社として認められました。 しかし1908年(明治41年)には、近隣の鈴木町にある鈴木稲荷神社へ合祀され、一時、上鈴木の鎮守としての役割が薄れます。その後、戦後の1952年(昭和27年)に、廃校となった陸軍経理学校の「若松神社」の社殿を大蔵省から譲り受け、分霊を遷して再び上鈴木・上水本町地域の氏神として戻され、現在に至ります。 主祭神は倉稲魂命(うかのみたまのみこと)、境内社として須賀神社・御岳神社などがあります。例祭日は9月22日。 社格は旧村社。上鈴木稲荷神社は、こぢんまりとした佇まいながら、地元の人々の暮らしに溶け込んだ静かな神社という印象を受けます。玉川上水の南側、緑や住宅が混ざるエリアにあり、鳥居を抜けると、都会の喧騒から少しだけ離れたような空気が漂います。本殿は昭和期に遷座・改修されたものですが、古の伝承と地域の歴史を背負っており、石の祠や社殿の様子からは、新田開発時代から氏子の手で守られてきた重みを感じます。参拝者にとっては、パワースポットというほど派手ではありませんが、「氏神様」として、日常に静かな心の拠りどころを与えてくれる神社だと思います。アクセスも比較的良く、西武国分寺線の鷹の台駅から徒歩圏なので、ぶらりと散歩がてら立ち寄るのにも向いています。