700年の歴史が眠るスダジイ群。
十村屋敷跡スダジイ巨木群の特徴
加賀市指定天然記念物で、歴史を感じる場所です。
11本の巨樹が共存する独特な空間が魅力的です。
十村屋敷跡には樹齢700年以上のスダジイが立ち並んでいる。
十村屋敷跡のスダジイ樹齢:700年以上樹高:21m幹周:10.5学名:Castanopsis sieboldii指定:加賀市指定天然記念物HP「巨木の世界」にて詳しく解説しています。
巨大な椎ノ木が、11本もまとまって生えている巨樹好きにはたまらない空間。普通の人々からしたら、唯の雑木林にしか見えないよねぇ〜
10本以上のスダジイが立ち並ぶ場所。
元はこの地域の十の村を束ねていた庄屋様の馬繋場だと地域の方が教えて下さいました。今もその一族の末裔の方の私有地で、管理、手入れしてくださっているとのこと。樹齢300-700とも推測されるスダジイの老木が何本も生い立ち、かなりのパワースポットと言えるかと思います。
| 名前 |
十村屋敷跡スダジイ巨木群 |
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| ジャンル |
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| 評価 |
3.8 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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加賀市小塩辻町にある十村屋敷跡スダジイ巨木群は、江戸時代の地方役人・十村の屋敷跡とされ、今もなお巨大なスダジイがその歴史を静かに物語っている。小塩辻町に伝わる話によれば、この地にはかつて鹿野家という名の家があり、代々加賀藩の支藩である大聖寺藩から十村に任じられていたという。鹿野家の初代・鹿野小四郎は元禄年間に小塩辻へ移り、以来この地を治めたと伝えられる。小四郎は農政に明るく、晩年には『農事遺書』という農業書を著して後世に知見を残した。この書は今日も加賀市の文化財に指定され、十村が単なる農民支配者ではなく、農業技術や地域経営に通じた人物であったことを示す貴重な史料となっている。十村屋敷跡として知られるこの地には、現在11本のスダジイの古木が残されている。最大のものは幹周およそ8.7メートル、高さは21メートルを超え、幹は地上の低い位置から五本に分かれてそびえ立つ。これらの木々は樹齢300年から700年とも推定され、屋敷が存在していた時代の庭木あるいは屋敷林の名残と考えられている。北陸ではこれほど大規模にスダジイが成長する例は珍しく、昭和62年には加賀市の天然記念物に指定された。屋敷の建物はすでに残っていないが、広場状になった敷地に立てば、かつての空間の広がりを感じ取ることができる。地元では現在もこの一帯を十村屋敷跡と呼び、巨木群の根元には保護のためロープが張られている。静かな森の中に身を置くと、木々の隙間から差し込む光が、かつての十村とその家族の営みを映し出しているようにも感じられる。加賀藩における十村制は、藩政の中間支配層として庄屋の上位に置かれた制度であり、当初は十か村前後を統括する役職だった。やがて支配地域が拡大するにつれて、数十か村を束ねる十村も現れた。大聖寺藩においても同様の体制がとられ、小塩辻の鹿野家のような旧家が地域の統治にあたった。屋敷跡の周辺には、同じく市指定の白山神社巨木群があり、こちらにはケヤキを中心とする古木が立ち並んでいる。神社は集落の氏神として長く信仰され、屋敷との空間的な結びつきが感じられる場所である。また、近隣の地形には「小四郎山」や「紋兵衛山」といった呼称が残り、これらの名称は初代小四郎やその娘婿にちなむとされている。こうした地名は、当地に十村として生きた人々の記憶が、自然の中に溶け込んで受け継がれていることを示している。江戸後期には、鹿野家の九代目当主が近隣の伊切浜で防風林の造成に尽力したと伝わる。これは、当時たびたび発生した風害や飢饉に対する備えであり、十村が農政に加えて環境整備にも取り組んでいたことを物語っている。江戸時代末期に一時的に廃止された十村制も、天保年間には再び復活し、地域の再建に寄与することになる。屋敷跡に残るスダジイの森には、いまなお鹿野家の歴史や十村制度の重みが息づいている。建物こそ失われていても、土地に深く根を張った巨木たちは、ここに確かにあった暮らしと制度の証人であり続けている。訪れる者にとって、この静寂と威容は、単なる自然の驚異を超えて、加賀の歴史に触れる貴重な体験となるだろう。