山中温泉で響く湯の匂い。
芭蕉句碑山中温泉道明ヶ淵 「山中や 菊はたおらじ 湯のにおい 」の特徴
芭蕉がここで長期滞在した歴史的な温泉地です。
山中温泉の良い香りが漂う静かな環境が魅力です。
謡曲『菊慈童』に由来する文化的な背景があります。
山中や 菊はたをらぬ 湯の匂。
"山中や菊はたをらぬ湯のにおい" 山中温泉は良いな。長寿の効用を言われる菊を手折って匂いを嗅いだりしなくても、湯の香りだけで十分に命が延びる感じがするよ。
〔奥の細道〕の旅で、芭蕉は山中温泉には8泊9日という長期滞在した。その間、芭蕉は、道明ヶ渕を2度訪れている。あやとり橋の下に文久元年(1861)建立という句碑が建っている。 やまなかやきくはたおらしゆのにほひ はせを。
不陰気はバッチリかと(^_^;)来て良かった🎵です。
WEBサイト【芭蕉俳句全集】より謡曲『菊慈童』に、周の国の慈童が菊の露を飲んで不老長寿を得たとする話。これを題材として、薬効のある山中温泉のお湯ならば、菊の露など飲まなくても700年の不老長寿が得られるに違いないと、宿屋の主人桃妖への挨拶吟。
Inicio/Final de la ruta a pie por las márgenes del río. Es un paseo precioso en cualquier época del año, merece la pena! Nada complicado con niños (no hay demasiadas pendientes).
| 名前 |
芭蕉句碑山中温泉道明ヶ淵 「山中や 菊はたおらじ 湯のにおい 」 |
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| ジャンル |
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| 営業時間 |
[金土日月火水木] 24時間営業 |
| 評価 |
3.8 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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加賀の山中温泉、鶴仙渓のほとりに立つ松尾芭蕉の句碑「山中や 菊はたおらじ 湯のにおい」。道明ヶ淵(どうみょうがふち)と呼ばれるこの場所は、芭蕉が『おくのほそ道』の旅で訪れ、当地の湯を称えた俳句を詠んだ史跡だ。芭蕉が山中温泉を訪れたのは元禄2年(1689年)、門人の河合曾良(かわいそら)と共に約半年かけて奥州から北陸を巡った旅の終盤だった。奥の細道の旅程中、7月27日(新暦では9月10日)に到着し、翌8月5日(新暦9月18日)まで8泊9日の比較的長い滞在となった。芭蕉たちが泊まったのは、温泉街の宿「泉屋(いずみや)」。ここで芭蕉は旅の疲れを癒やし、薬師堂を訪れたり、地元の少年・久米之助(くめのすけ)と交流したりしながら、山中の湯に深く魅せられたという。実際、『おくのほそ道』の中では、芭蕉は山中温泉について「温泉に浴す。其の効有馬に次ぐと云う」と記し、有馬温泉に次ぐほどの名湯として評価したことがわかる。これは相当な絶賛で、後に随筆『温泉頌(おんせんのしょう)』の中でも「扶桑三名湯の一つ」として改めて評価したほどだ。芭蕉は旅の中で多くの温泉地を巡ったが、これほどはっきりと具体的に名湯と讃えた場所は少ない。山中温泉が芭蕉の心に強く刻まれた証拠だろう。そして、ここで生まれた句が「山中や 菊はたおらじ 湯のにおい」だ。菊は古くから長寿や健康を象徴する植物で、中国の故事「菊慈童(きくじどう)」では、菊の露を飲んだ童子が不老長寿を得たとされる。この句は、「山中温泉の湯に浸かれば、わざわざ菊を摘んでその露を飲まなくても長生きできるほど、湯の香りが良い」と詠んだものだ。つまり、山中温泉の効能の素晴らしさを、菊の伝説になぞらえて最高の褒め言葉で表現しているわけだ。現在、芭蕉がこの句を詠んだことを記念して、道明ヶ淵には句碑が建っている。この句碑が最初に建立されたのは幕末の文久元年(1861年)。ところが建立直後に大水で流出してしまったため、わずか2年後の文久三年(1863年)に再建されたという逸話がある。この道明ヶ淵自体、かつてこの淵に棲んでいた龍(蛟)を道明という人物が退治したという伝説があり、昔から山中の景勝地として知られていた。現在でも、この場所は国の名勝「奥の細道の風景地」に指定されており、句碑の前に立てば、当時芭蕉が見たのと変わらぬ美しい景色を堪能できる。山中温泉には芭蕉にまつわる史跡が他にも数多く残っている。例えば、芭蕉が実際に逗留した泉屋の跡地には「芭蕉の館」が建てられ、芭蕉ゆかりの資料や工芸品が展示されている。また温泉街の中心部にある共同浴場「菊の湯」は、まさに芭蕉のこの句に由来した名を持つ。菊の湯前には芭蕉が弟子の曾良と別れる際に詠んだ句にちなんだ足湯「笠の露」もあるなど、随所で芭蕉の足跡を感じられる。さらに、山中温泉を象徴する渓谷・鶴仙渓は、芭蕉が「行脚の楽しみここにあり」と絶賛したほどの名勝である。実際、道明ヶ淵から下流にかけての鶴仙渓沿いには、黒谷橋やこおろぎ橋、あやとりはしといった趣のある橋や岩場が続き、芭蕉がこの地を深く気に入った理由もわかる気がする。芭蕉堂という記念堂もまた明治43年(1910年)に全国の俳人たちの寄付で建立され、今も多くの人が訪れる。また医王寺には、芭蕉が旅で愛用したと伝わる「忘れ杖」が収められているなど、文化財として貴重なものも数多く残されている。こうして芭蕉ゆかりの地をめぐれば、芭蕉が『おくのほそ道』の旅の末に感じ取った山中温泉の魅力や、彼が俳句を通じて何を伝えようとしたかがよくわかる。道明ヶ淵の句碑一つとっても、ここにはただの記念碑以上の深い物語が秘められている。山中温泉は単なる温泉街にとどまらず、日本の文化・文学の豊かさを伝える貴重な地である。その価値をこれほどはっきりと示した芭蕉の句碑は、やはりこの温泉地のシンボルとして相応しい存在だと思う。芭蕉が感じたその湯の香り、そして句に込めた不老長寿への憧れと称賛を、訪れるたびに改めて味わえる場所だ。