金色堂すぐそばの中尊寺経蔵。
中尊寺 経蔵の特徴
国宝の中尊寺経を納めた経蔵が金色堂の近くにあります。
平安時代の彩色文様が見られる貴重な建物です。
中尊寺経蔵は重要文化財として指定されています。
金色堂とは対照的な色彩が洗い流された経蔵です。当初は2階瓦葺であったものの、1337年の火災で上層部を焼失されたとのこと。御本尊である騎師文殊菩薩(重要文化財)と三方の経棚に納められていた紺紙金字一切経(国宝)は讃衡蔵に移され、新たな騎師文殊菩薩が安置されているとのことです。
当時の建築技法が散見出きるので、じっくり見るだけ楽しみが有る。
金色堂から少し登った所のお堂です。内部も当時の建築がよく解って面白いです。
元々は2階瓦葺の建物だったが1337年の火災で上層部が焼失。残った古材を使って再建されたと思われる建物。本尊の騎師文殊菩薩像と国宝の紺紙金字一切経は讃衡蔵に納められている。有料エリアとなるので近くで見るなら課金が必要です。
中尊寺経蔵は、中尊寺経を納めるために建立されたお堂です。鎌倉時代の建物ですが、一部には平安時代の古材をしようされています。安置されていた文殊菩薩像と従者四体からなる文殊五尊像は讃衡蔵に移されています。
雨が降って来てしまったため、通り過ぎてしまっただけですが、古くてもしっかりと建立していることがすごいなあと思いました。
経蔵は中尊寺の境内、金色堂背後にある御堂で、当時は内部に経蔵(中尊寺)螺鈿八角須弥壇(国宝)が設置され本尊となる文殊五尊像(国指定重要文化財)が安置されていました。また、中尊寺の経典などが保管されていました(経蔵に保管されていたものは平成12年:2000年に建築された讃衡蔵に移されています)。中尊寺経蔵の創建は平安時代後期の保安3年(1122)、奥州藤原氏初代当主である藤原清衡とそのその妻平氏が大旦那となり造営されたもので、当時の軒札が残され、その主旨が記されています。現在の建物は平安時代の古材を使った鎌倉時代に造られたものとされ、木造平屋建て宝形造、銅板葺、桁行3間、張間3間、正面1間向拝付き、外壁は真壁造り板張り、当時の文化を伝える数少ない建物の一つで、彩色などは剥げ落ち、往時の2階建てから平屋建てにするなどの改修がされています。案内板によると「創建時の経蔵は、「供養願文」には「2階瓦葺」とある。建武4年(1337)の火災で上層部を焼失したと伝えられてきましたが、古材をもって再建されたものと推定されています。荘厳は歳月に洗い流され、金色堂とは異なった趣があります。本尊は騎師文殊菩薩像です。経棚にあった紺紙金字一切経(国宝)は、讃衡蔵に保管。」とあります。経蔵は大変貴重なため、昭和4年(1929)に国宝に指定され、現在は国指定重要文化財となっています。
中尊寺の堂宇の一つ。経典を収めていた建物。有料区域内にある。
金色堂の近くにある。現存する建物は、平安時代の古材を再用して中世に再興されたものと推定されている(重要文化財)もともとは経典を保管する為に建てられたもの。讃衡蔵に保管されている螺鈿八角須弥壇(国宝)、文殊五尊像(重要文化財)、一切経(国宝)はこの建物の元所蔵物。
名前 |
中尊寺 経蔵 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
0191-46-2211 |
住所 |
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評価 |
4.0 |
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金色堂のそばに建つ経蔵は国宝の中尊寺経を納めていたお堂で平安時代に建立された五間四方の単層で宝形造りの建物です。「中尊寺供養願文」によって天治三年(1126年)頃の創建と推定されています。創建当時は二階建ての瓦葺のお堂でしたが建武四年(1337年)の火災で二階部分を焼失した、その後修理を重ね現在は銅板葺単層の建物になっている。かっては重要文化財の御本尊騎師文殊菩薩像と四眷属像(優填王・善財童子・婆數仙人・仏陀婆利)を安置し、国宝の紺紙金字一切経を納めた経箱を三方の経棚に並べていたというが現在は讃衛蔵(宝物館)に収蔵されている。