特別名勝!
一乗谷朝倉氏遺跡 南陽寺跡庭園の特徴
南陽寺跡庭園は池泉鑑賞式庭園の遺構で特別名勝です。
室町時代に朝倉氏が建立した尼寺の歴史を持つ場所です。
高台に位置し、他の庭園から離れているため静かです。
高台に他の3庭園から少し離れてあります。ハッキリとした池は無く、全体に湿地のような感じでした。眺めも他の庭園からに比べると、それ程ではなかったかな…ということで写真も無し…
足利将軍家の御所の庭園の構造に似ているという指摘があるそうです。
南陽寺は室町時代の中期、朝倉氏景の時代に建立された寺院その後、朝倉貞景によって再興され、それ以降は朝倉家の子女が入る尼寺となる室町時代末期、朝倉義景を頼って一乗谷に入った後の室町幕府15代目将軍·足利義昭をもてなす為に作庭されたという池泉鑑賞式庭園の遺構国の特別名勝である。
南陽寺で足利義昭を盛大にもてなしたですか❔やはり財力は凄いのですね。出兵には大きな財源がいる。それをものともせず短期間に数回出兵しているのは相当の財力がなければ出来ません。だから豊富な資金があったのですね。
1994年5月に訪れました。当時は2本の糸桜が植えられていました。五月雨に濡れた若葉が美しかったことを憶えています。
南陽寺跡(なんようじあと)・特別名勝一乗谷朝倉氏庭園 南陽寺跡庭園は、南陽寺は朝倉氏一族により創建されたと伝えられる尼寺です。仏殿とされる建物と庭園が確認され、庭園は特別名勝に指定されています。約5,000㎡の規模で、当時は、「北国(ほっこく)でもたぐいまれ」といわれていたほどでした。永禄11年(1568)春、朝倉5代目義景は、この南陽寺に、後の15代将軍足利義昭を招いて、「桜を楽しむ歌会」を盛大に開催し、もてなしました。そのときの二人の歌が伝えられていますので、紹介します。足利義昭「もろ共に 月も忘るな 糸ざくら 年の緒ながき 契と思はば」これは、義景に向けて、長い付き合いを望むといった意味と考えられています。義昭の歌に対して、義景は、「君が代の 時にあひあふ 糸桜 いともかしこき けふのことの葉」とこたえました。 これらの歌からも当時の繁栄ぶりや華やかな文化がうかがえます。しかし、義景は、足利義昭の期待に反して一乗谷から動かなかったため、足利義昭は一乗谷を離れ、織田信長を頼って岐阜に移りました。福井県立一乗朝倉氏資料館HPより。
名前 |
一乗谷朝倉氏遺跡 南陽寺跡庭園 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0776-41-2173 |
住所 |
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HP | |
評価 |
3.5 |
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朝倉館跡からは北東の高台にあり順路でもないため訪れる人は少ないです。石組みの周りには柵があり西、北から庭石を見ることになります。