四国一の加久見五輪塔群。
| 名前 |
加久見五輪塔群 |
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| ジャンル |
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| HP |
https://www.city.tosashimizu.kochi.jp/kanko/g05_kagumi_gorintogun.html |
| 評価 |
5.0 |
| 住所 |
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加久見五輪塔群(土佐清水市指定文化財)ここ香仏寺の境内に並ぶ五輪塔群は、中世幡多地方屈指の豪族加久見氏一族とその家臣の墓塔及び供養塔といわれ、質量とも四国 一と注目される貴重なものである。五輪塔の数は、大小合わせて130基余りを数え、最も大きいものは総高193㎝に及ぶ。この中の一基に「貞治二年」(1363)の年代銘が入ったものがあるが、今次の調査により、これら花崗岩製の主要な五輪塔は、南北朝以前の鎌倉時代末期から室町時代中期(14世紀から15世紀のものであり、しかも、すべて摂津国(兵庫県) 福原荘の六甲花崗岩製であることが判明したのである。加久見氏の系譜は定かではないが鎌倉時代には一条家の荘園幡多荘以南村の預所(荘宮)であったと推測され、南北朝時代から戦国時代に加久見に城を構え以南地方に勢力を持っていた豪族である。 応仁二年(1468)前関白一条教房が幡多荘に下向すると加久見宗孝は、土佐守に任じられ、娘は教房の後室「中納言局」となって土佐一条家初代当主房家を出生した。外戚となった加久見氏は、以後百年にわたって土佐一条家の 幡多支配に重きをなしたのである。しかし、世移り土佐一条家から長宗我部家への政変後は、長宗我部の配下となり、文禄二年(1593) 秀吉の朝鮮出兵に従軍した加久見左衛門太夫が被地で死去すると領地は没収され没落していった。今次、平成17年から平成21年まで高知大学教育学部・高知県教育委員会・土佐清水市教育委員会による加久見氏関係遺跡の発掘調査が実施された。これにより加久見氏館や家臣団家敷の遺構が確認され、そこから鎌倉時代中期から室町時代中期(13世紀末から15世紀)にかけての貴重な国産陶器や貿易陶磁器が多く出土した。加久見氏の権勢を象徵するこれらの出土品や六甲花崗岩製の五輪塔が 一体どのような経緯でこの地にもたらされたのか、そこに浮上するのが、福原荘の兵庫津と幡多荘一の良港、清水津を結ぶ瀬戸内・豊後水道経由の海上ルートである。 摂津福原荘と土佐幡多荘は共に一条家の荘司であり、兵庫津は天下の貿易港、清水津はその南玄関に当たる要港である。一条氏と加久見氏は一条教房が界より幡多に下向し、遣明船が土佐沖を遣航行する百年以上も前からこのルートをベースとして国内外との交易に深くかかわっていたと推察されるのである。 加久見氏の勢威の基盤もここに見ることができる。五輪塔は、更なる史実を秘めて、静かに建っている。平成二十四年二月 土佐清水市教育委員会【香仏寺の入り口にある「加久見五輪塔群」の看板より】