相生橋の伝える歴史の重み。
原爆の絵碑(第11号碑)の特徴
1945年8月6日の悲劇を伝える重要な絵碑です。
原子爆弾が炸裂した地で、大切な記憶を刻んでいます。
交差点の片隅にある、歴史的なモニュメントです。
ボランティア清掃で見かけた、交差点の片隅のモニュメント。傍らには手入れ中の花壇もあり、人通りは多いけれど道端の花木の様に目を止める事は少ないかも知れません。静かに原爆の惨状を伝えてます。
| 名前 |
原爆の絵碑(第11号碑) |
|---|---|
| ジャンル |
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| 電話番号 |
082-532-1300 |
| 営業時間 |
[水木金土日月火] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
4.5 |
| 住所 |
|
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----説明文より-----あの日、この地で1945年8月6日午前8時15分、この相生橋を目標にアメリカが落とした原子爆弾は、地上600メートルで炸裂しました。強烈な熱線と放射線、爆風にさらされた爆心地付近の地表面の温度はセ氏3000-4000度に達し、多くの市民が亡くなりました。投下直後の惨状を目撃した被爆者や体験を受け継いだ人たちがこれらの絵を描きました。どうか目をそらさず見てください。どうか忘れないで日本の人たちよ、世界の人たちよ。再びこの風景が地球上に繰り返されないよう、絵を見つめてください。2024年12月、日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)にノーベル平和賞が贈られました。世界各地で核戦争の危機が高まる中、被爆者の訴えが核戦争を防ぐ力になると期待されます。ヒロシマが人類共通の被爆体験となって地球上の核兵器がすべて廃止されるまで、この運動は続けられます。2025年7月制作被爆者が描いた原爆の絵を街角に返す会/広島市あの日あの時、あの光景を街角に!ヒロシマの原点を語りつぐ制作協力原仲裕三/西岡真奈美/大塚オーミ陶業(株)/(株)ストーンオフィス・モリシタ/ヤマト工芸(有)※絵と説明文を張り付けた5枚の石は、ここから北方に見える広島サッカースタジアム地下にあった旧陸軍施設「輜重兵補充隊」の敷石です。被爆して表面が焦げています。