95mの古墳を訪ねて、歴史の旅へ!
火振山古墳(新庄神塚古墳)の特徴
最大長95mの前方後円墳は圧巻です。
古墳時代中期に築造とされる歴史的遺産です。
450年〜500年の古代に思いを馳せられます。
「葛木(葛城)の道」巻十四の一の十三 葛城市南藤井新庄神塚古墳(しんじょうこうづかこふん)《火振山古墳》(ひぶりやま)最大長95m、古墳時代中期のものと推定されるということです。隣にある「古池」とのコンビネーションが絵になりますね。東の農道・畔から古墳の詳しい様子がうかがえます。次の為志神社がすぐそこに見えています(遠くの道路標識とかさなっているところがそうです)。奈良はこういった神奈備がしっかりと見えるので、社寺仏閣と分かりやすいですよね。
全長95mの前方後円墳、築造時期は450年~500年。屋敷山古墳の南400mにある。屋敷山古墳と築造時期はほぼ同じ、埋葬者も葛城氏関連と見られる。以下、葛城市Webページより。「葛城市内では第3位の大きさを誇る前方後円墳(全長95m)です。かつては神塚古墳と呼ばれていましたが、地元での呼び名にしたがいこの名称にもどされました。作られた時期は、古墳時代中期後半(西暦450年~500年)頃と考えられています。時期や古墳の大きさなどから、古代豪族葛城氏の墓の一つと考えられています。火振山古墳の火振山とは、文字どおり「火を振る山」という意味です。これは古墳時代より後の飛鳥時代の頃、この古墳の上に明日香の都を防衛するために設置された、のろし台のようなものがあったからと推測されます。」
| 名前 |
火振山古墳(新庄神塚古墳) |
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| ジャンル |
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| 営業時間 |
[水木金土日月火] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
3.3 |
| 住所 |
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3世紀中期から4世紀に築造されたとみられる墳丘長約95メートルで三段構築の前方後円墳です。後円径約55メートル、高さ10メートル。前方幅約36メートル、高さ7メートル。古墳北側のため池土手から前方部への通路と古墳東側のくびれ部付近から古墳への立入りが可能です。古墳西側は墳形がわかりにくいてすが、内部に入ると雑草などがなく竹林になっており、前方後円墳の墳形がよくわかります。くびれ部も左右とも確認しやすいです。内部は墳形がわかりやすい、なかなかの古墳だと思いますが、案内板がないのが、もったいない気がします。タケノコ採らないでの看板はあるんですが…もしかして立入禁止?じゃないと思いますが。冬枯れの散策がいいと思います。