庚申堂で感じる歴史の重み。
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| 名前 |
庚申堂地蔵尊 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
|
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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史料及び伝承が殆どないのですが、まず、このお堂の名前は「庚申堂」というのが正しいようです。古くからの日本の民間信仰である、庚申講の際に近所の方々が集まったところです。本堂左の石碑(大峰登山参拝と彫られている)、それと撫で牛らしき二体が祀られた小さなお堂が印象に残りました。向かって右側の石灯籠のように見えるものを、後日、見に行きました。脚部に「力うし(ちからうし、または、かうし?)」と彫られており、左にある牛2体と関係があるのかもしれません。また、灯籠の傘部分と、その右側に置かれた傘のような形の石は、灯籠の他の部分よりもっと古いものに見えます。近所に寛弘寺古墳公園があるように、かつてこの辺りは小さな古墳がたくさん存在したらしく、それらに関係する石なのかもしれません。大峰登山参拝碑は、裏面に昭和29年建立、寛弘寺村中の発起人、世話人、福寿講、修験者一同合わせて34名が挙げられています。地元で、奈良県南部の大峰山への修験参拝を記念した碑と位置付けられるでしょう。「庚申堂」については、河南町が出版した河南町誌に「庚申講の者が庚申の日に集まり、農作物の豊穣祈願をし、昔話や農談などに夜をふかした。慰労、懇親と村人としての研修の集まりである。戦後はほとんど行われなくなった。」と記載されています。