殖栗神社の歴史を感じる!
殖栗(えぐり)神社の特徴
殖栗神社の社頭に立つ石柱は、式内社と刻まれています。
奈良県桜井市上之庄の歴史的な神社、殖栗神社です。
ここでは、神社の持つ特別な雰囲気を堪能できます。
本殿に神様はいません、トオノモリに帰りました。前からいる神様は宮中神である三十八柱神です、大福にある三十八柱神社の神様と同じ。霊力強い人間に対しては人使いが荒いです。自覚能力ある方はご注意下さい。
殖栗神社(えぐり) 社頭の石柱には式内社とある。祭神:殖栗王(えぐりのみこ)・天児屋根命(あまのこやねのみこと)殖栗王 は用明天皇の第三皇子で母は穴穂部間人皇女。境内の石灯籠には「三十八社」の刻名があるので、殖栗神社から三十八社に名称変更されたか、元から殖栗神社と呼んでいなかったか。明治40年に十之森(とうのもり)にあった 春日神社を合祀、十之森の近くに字江繰があっ たため社名を殖栗神社と改めたかもしれない。エグリ神社の方がブランド力があったわけだ。境内は、石灯籠や鳥居、手水鉢などが無秩序に配置してあって、掃除もあまり行き届いていない。社頭の注意書きに「当 社 は、上之庄の氏 子で祭 祀 を行い、維持している神社です。境 内 では、危険な遊 び や、迷惑になる行為はしないでください。(火遊 び、野球・サッカーなど のボール遊 び、ペットの散 歩 、 ゴミの放置 樹木の伐採 など。) 境 内 の建 物や石灯ろう等は、 危 険 な た め触 れたり,上 った り し ないでください」とあった。氏子の方々のご苦労が伺える。「進入禁止」もこのためか。境内社として小さな社が二つあるが、神社名がなく詳細は不明。十之森から移転してきた春日神社がこれだろうか。この近くホームセンターコメリの隣に「十之森神社」の御神木をご神体として祀る神社がある。そこの石碑には「十之森鎮座春日神社は大正八年三月殖栗神社へ合祀された。」と記録されていた。同境内に公民館があって駐車場もあるが、鎖が張ってあり使用できない。集落の各入り口辺りに「生活道路につき進入をご遠慮ください」「進入不可」との張り紙が掲示してある。実際に道が狭いことと、集落外の者には立ち入ってほしくないということだろう。近くの大型スーパーの駐車場に車を停めて殖栗神社や八坂神社、神宮寺などを見て回った。
| 名前 |
殖栗(えぐり)神社 |
|---|---|
| ジャンル |
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| HP |
http://www.jinja-net.jp/jinjacho-nara/jsearch3nara.php?jinjya=33892 |
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
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殖栗神社(えぐりじんじゃ)。奈良県桜井市上之庄。式内社(小)、旧社格不明。【祭神】殖栗王(用明天皇の第五皇子) 天児屋根命【関係氏族】殖栗連:『新撰姓氏録』左京神別に大中臣同祖であるという「殖栗連」が登載されており、この中臣系氏族の「殖栗氏」が当地に居住し祖神を祀った。資料によると、明治7年(1874)頃までは三十八社神社と称していた。同40年小字十ノ森(とうのもり)にあった春日神社を合祀、十ノ森の近くに字江繰があったため社名を殖栗神社と改めた。江戸時代は三十八神社といったが、明治10年(1877)の記録[区有文書]では上之庄神社、明治24年(1891)の大和国町村誌集では既に殖栗神社となっている。旧鎭座地は上之庄領の東北隅にあたる字十ノ森で、現在も水田の中に180坪(580㎡)の雑木林をのこしている。本殿の向つて右、低い土塀に三方を囲んだ中に南面の末社があつて、向つて右が字十ノ森から移した春日社(祭神・天児屋根命)である。もともと殖栗神社という神社はなかつたわけで、『大和志』は城上郡神廟の條で、「殖栗神社(在所未詳)」としている。たまたま字十ノ森の東側に字江繰(えくり)があることから殖栗神社に改めたものであろう。肝心の字十ノ森鎮座 春日社は明治40年にいたつて、殖栗神社の境内へ合紀された。とあります。