塔の山から眺める蓮昌寺。
法鮮銘五輪塔(お福の方供養塔)の特徴
塔の山と呼ばれる丘からの眺望が素晴らしいです。
戦災で失われた蓮昌寺の歴史を感じられる場所です。
法鮮銘五輪塔周辺には静かな自然が広がっています。
淡島さま(徳与寺)の上の丘を「塔の山」と呼びます。一般的には、昔、蓮昌寺の塔があったからと言われてますが。地元の古い方のお話だと、徳与寺か常念寺の塔だろうとのことです。この塔の山の上に、岡山市指定文化財でもあるお福の方供養塔が建立されています。豊島石製の五輪塔で下から地水火風空となっており、地輪には小さく「法鮮」と刻まれています。後年の調べより「お墓かどうかははっきりしない」という説もありますが、岡山城主宇喜多秀家の母の墓と言われるに相応しい堂々たるものです。塔の左傍らに後年建てられた法鮮尼遺績碑があり、それによると蓮昌寺の過去帳に法名阿鮮大姉とある由です。お鮮さまは、作州高田城主三浦貞勝の夫人としてその落城に遭い、やがて才色絶倫だったことから宇喜多直家に迎えられ秀家を生みました。羽柴(豊臣)秀吉が高松城水攻めの時岡山城に立ち寄った際、彼女の美しさに一目惚れし、召されて寵愛され「お福」と呼んでいたそうです。「岡山のクレオパトラ」と後年呼ばれているくらいの美貌だったそうで、宇喜多秀家の出世も、お福の方(お鮮)によるところが多かったのかも知れませんね。
| 名前 |
法鮮銘五輪塔(お福の方供養塔) |
|---|---|
| ジャンル |
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| HP | |
| 評価 |
3.0 |
| 住所 |
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田町の蓮昌寺は広大な寺院であったが戦災ですべてを失った。ここ塔の山は小早川の頃田町に移転される前の蓮昌寺があったとされる場所。戦災で焼けた連昌寺三重塔は室町期のものと推定され国宝であったが、この塔の山から移築されたとの説がある。しかし、この塔の山に日蓮宗時代の遺構はほとんどなく、かろうじてこの五輪塔が残っている。刻まれた法鮮が宇喜多秀家生母お福と同一との説があり戦災で焼失した蓮昌寺過去帳の「宇喜田氏御前 法名阿鮮大姉」を証拠に挙げる向きもあるが確証はない。五輪塔は塔の山の西南にあったのを墓地整理で現在地に移した(その際火葬骨が出たとも)ものらしいが、塔身に梵字でなく妙法蓮華経の五字を刻んでいることから日蓮宗系のものであることに間違いはない。同時代のものとしてはかなり大きく堂々たる五輪塔である。