古城小学校で謙信の歴史を探ろう。
福島城跡の特徴
福島城は古城小学校の敷地内に位置していて、注意が必要です。
上杉謙信らが治めた歴史的な城跡で、海岸沿いの立派な景観があります。
三城巡りの一つとして訪れる価値があり、石碑と説明板が設置されています。
地元ホテルの従業員も、春日城と高田城跡しか知らず、城跡に古城小学校と名前を冠した小学校が建っているのに、驚いた。
かつて上越越後国を治めた上杉謙信、景勝、堀氏、松平忠輝と君主が変わる中、春日山城→福島城→高田城と移っていった。保倉川と関川に挟まれた要害で大きなお城だったそう。川に挟まれた故の洪水や江戸時代になり防御の意味合いも薄れたためか、僅か7年しか居城とされなかったお城。歴史に埋もれた名城は歴史マニア垂涎のスポットだと思います。惜しくも同史跡のある古城小学校は令和4年3月に閉校になったそう。
小学校の敷地内に看板があります。
城跡をイメージするのは難しいですが、海岸沿いの立派なお城だったようです。
小学校の敷地内に石碑と説明案内板が建っています。校舎の一角には、福島城資料館がありますが、閉館中でした。
三城巡りの1つとして行った。遺構とか特になく寂しい。
福島城(ふくしまじょう)は越後国頸城郡にあった近世の日本の城(平城)。福嶋城とも記される。新潟県上越市港町二丁目の上越市立古城小学校付近が本丸跡と考えられている。北は日本海、東は当時の保倉川、南には堀(現在の保倉川)、西は関川をはさんで中世以来の都市府中と向き合う場所に立地している。上杉景勝会津移封の後に春日山城主となった堀秀治により、山城である春日山城に代わるものとして築城が始められた。その正確な時期は明らかでないが、慶長5年(1600年)以降まもなくであろうとされる。秀治の死後家督を継いだ堀忠俊の代に完成し、慶長12年(1607年)に忠俊は春日山城を廃して福島城へ移った。城下町建設にあたっては、春日山城下や府中から多くの町人が移住したと伝えられる。 慶長15年(1610年)堀忠俊の改易後に越後の領地を継承した松平忠輝が福島城主となる。忠輝は慶長19年(1614年)、関川を遡った内陸部に高田城を築城。これにより福島城は廃城となった。高田城下の町人町には、福島城下から移転したという由緒を伝える町が少なくない。
城跡は小学校になっている石垣ちょっとある。
古城小学校の中にあります。
名前 |
福島城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP |
https://www.city.joetsu.niigata.jp/site/museum/echigonomiyako.html |
評価 |
3.2 |
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城の遺構は残っていない様です。