榎下城跡の風情溢れ舊城寺で歴史に触れる。
舊城寺の特徴
知名度の高い武相寅歳開扉薬師如来霊場です。
榎下城跡の歴史を感じる風情あるお寺です。
少しわかりにくい立地に位置していますが魅力的です。
寺の敷地になっている小さな城跡。西側が開けているので城を作るのには良い地形らしい。寺の敷地と墓地なので改変著しい感じで全体はよく分からないが、部分部分が堀切っぽかった土塁ぽかったりする。
関東管領として、戦国時代の関東で要職を勤めた上杉一族の分家にあたる榎下上杉氏の居城とされています。後は北条氏の拠点、小机城の支城として機能した城郭でJR中山駅から徒歩で行くことが出来ます。現在は旧城寺が建立され土塁や空堀が残る住宅地となっています。
お城巡りあるあるですが、城趾がお寺になっています。そうなってくると縄張りはよく分からないことが多いのですが、オープン形式で普通に入ることができますし、説明板も建ていただいています。故に、現代との対比を含めて、雰囲気が伝わります。
神奈川県は横浜市緑区に有ります「舊城寺(旧城寺)」です。グーグルマップにレビューが反映されていなかった様なので編集再投稿です。こちらは今は古刹の寺院ですが、それ以前は元々「榎下城」という山城(丘城)だったとか。旧城寺の創建は慶長年間(1596~1614)の安土桃山時代~江戸時代初期です。山城としてはもっと時代が上がり室町時代の中期である永享年間(1429~1441)で、上杉憲清という武将が築城主と伝わります。因みに山城としてはほぼ遺構は見れません。ですが寺は山門を入ると直ぐに、左右に巨木が迎えてくれます。本堂に向かって右手側には、目通し幹周り6メートルぐらいは有りそうなカヤの巨木が、左側にはこちらも目通し幹周り5メートルは有りそうなイチョウの巨木が立ちます。どちらも樹齢は数百年でしょう。とりわけカヤの巨木は感動するくらいにデカいです。それだけでも良かったですよ。まるで二種類の違う巨木が阿吽の様に立つ姿は素晴らしいですね。因みに旧城寺の裏側方面の、竹やぶの写真の辺りが榎下城の本丸と推測されるとかそして、また時代は下がり小田原北条氏の統治時代には、小机城の出城として機能していた様です。是非にブラリと訪れてみて下さい。落ち着く古刹です。カヤの巨木の下でマッタリしましょう。
こちらは2024年02月11日の訪問となります。三保町にあるお寺さんです。旧榎下城跡にして武相寅年薬師霊場の第一番札所でもあり県下名勝史蹟四十五佳選でもあり境内の山林は県の天然記念物だったり、境内にあるカヤの木は横浜市指定名木古木だったりします。とても落ち着いた雰囲気の寺です。薬師霊場の名の通り薬師堂があり薬師如来も祀られています。馬頭観音もあったりします。わりと外の大通りから近い場所にはあるのですが、おそらく地元の人でも知らない人それなりにいそうな場所にあります。
少しわかりにくい立地なのだが、案内がなかったので辿り着くのに難儀した。森に囲まれた静かな寺院だが、県の天然記念物に指定されているのも納得である。武相寅年薬師霊場の1番だが、積極的に主張している感じはなかった。その、ストレートなネーミングは良い。
静などお寺です。
この一帯に点在する杉山神社は椙山とも云われております。林業を生業とする人達が信仰していたとの説が有りますこの寺のカヤの木はその説を彷彿とさせます。
武相寅歳開扉薬師如来霊場の参拝でお伺いしました。高野山真言宗のお寺で久保山舊城寺といい、薬師霊場第一番札所になります。お寺の御本尊は大日如来になります。薬師堂には無眼薬師の編額が掛かっており、祀られている薬師如来は眼が無いために無眼薬師の名前が付いています。この像は行基菩薩の作と伝わります。関東上杉氏の一人上杉憲清が築いた、旧榎下城跡(中世の砦)に立地するお寺で慶長年間(1596年〜1614年)に開かれたといいます。舊城寺の創建年代は不詳ながら観護寺や三會寺の條によると印融法印(1435年〜1519年)が舊城寺の住職を勤めていたといいます。
| 名前 |
舊城寺 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
045-931-1435 |
| 営業時間 |
[土日月火水木金] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
3.7 |
| 住所 |
〒226-0015 神奈川県横浜市緑区三保町2038 舊城寺 |
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2019/9/15このお寺は室町末期から戦国時代にかけて宅間上杉氏の居城榎下城であった。そのためお寺の名称も旧城ということらしい。足利持氏とともに歴史から消えてしまった宅間上杉氏。お寺の山門あたりが虎口であり、土塁がすこし遺っている。奥にあるお墓が一段高くなっているが、ここが主郭であったようだ。