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鳥取県倉吉市・勝入寺に残る赤瓦です。織田信長の重臣・池田恒興は本能寺の変後、豊臣秀吉に仕え、大いに活躍したが、1584年小牧・長久手の戦いで戦死している。その子・輝政は関ヶ原の戦いで家康について功績をあげ、1600年姫路初代藩主となっている。姫路に入ると、家老・伊木忠次は姫路に池田恒興の菩提を弔うために、恒興の法号・勝入を号して勝入寺を開創している。輝政の孫・光政(3代姫路藩主)が1617年鳥取藩主となると、伊木忠次の孫・忠貞も鳥取藩の倉吉へ赴任している。その時、勝入寺も倉吉へ移している。元和元年(1615)池田家継いだ池田光政が鳥取藩に移封となり倉吉に伊木忠貞を配した為、勝入寺も随行して現在地に移りました。勝入寺山門は入母屋、桟瓦葺(石州瓦)、下層部が白漆喰で開口部上部が曲線で仕上げられている竜宮門で倉吉の中でも異彩を放っています。勝入寺には池田家の家紋の揚羽蝶のいぶし瓦と赤瓦が残っています。棟にある赤瓦はかなり古い瓦のように思えます。江戸後期の可能性があります。いぶし瓦が最初使われ赤瓦に変わったようでいぶし瓦の鬼瓦が残っています。勝入寺にお使用されている軒平瓦は淀屋、小川家、湯梨浜町の長瀬観音堂で確認できます。倉吉市の白壁土蔵群に近く歴史ある大きなお寺です。勾配のあるところがあり歩いてみるよく見ることがことができます。