旧東海道と権太坂の物語。
石碑 権太坂の特徴
旧東海道の権太坂に位置し、歴史を感じる石碑です。
昔の旅人とお百姓さんのエピソードが名の由来です。
車が通る中でも、旧東海道の雰囲気が残ります。
保土ヶ谷宿を、出て権太坂に、なりますが、車はよく通りますが旧東海道の、雰囲気は少しあると思います。権太坂を上りきった最高地点、境木地蔵尊(峠の頂点)に向かってランニングで登りました。
旧東海道の権太坂に建つ石碑。 石碑の横には権太坂の説明が書かれた看板が立っています。子供のころから、「おらあ、ごんただ!」が刷り込まれているので、疑いようがない説です!(笑)少し先の小学校の近くにも説明の看板が立っていますが、こちらには二つの説が。昔は今よりも急坂で、家もほとんどなく、松並木の綺麗な道だったとか。今でも天気の良い日には、尾根筋の道からは富士山が見えるので、坂を登り切った人は綺麗な富士山に感激したことでしょう!ちなみに箱根駅伝で言われる権太坂は新道(1国)であり、こちらの旧道が本来の権太坂です。
その昔、東海道の旅人が、あまりの坂の険しさに、そばで畑仕事をしていたお百姓さんに「この坂はなんという名の坂ですか」と尋ねると、自分の名前を訊かれたのかと勘違いしたお百姓さんが「おらぁ、権太だ」と答えたのが「権太坂」の名の由来と伝わっています。お正月に行われる箱根駅伝で「花の二区」として知られる「権太坂」。駅伝で走る緩やかな上り坂が延々と続く道は、実は明治17年(1884年)に作られた新道で、旧東海道の権太坂は、あまりの険しさに江戸から西へ旅行く最初の難所として知られ、東海道中、箱根につぐ難所とされていたそうです。もちろん現在はきれいに舗装されていますが、その急勾配のなごりは残っています。また、当時、権太坂から東を望むと神奈川の海の絶景が広がり、坂を上りきった境木からは遠く富士山を望むことができ、その美しい眺めの様子は、広重や北斎などの手によって浮世絵として残されています。
2022/11/14 本碑は、旧東海道権太坂を下った、光陵高校の端辺りに有る。この有名な坂が、今まで地図にマークされなかったことが不思議だ。碑は、昭和53年横浜市が建てた。この手の史跡の表示は、通常は4角の茶色の柱(アルミ製?)に説明が書かれているのを良く見かけるが、ここは珍しく立派な石柱だ。300年は持つだろう。そばには名前の由来が書いてあるが、これは一説であり、同坂を少し登った権太坂小学校の入口には、2つの「いわれ」が書いてある。どちらも確証が無いから2説有るわけで、確実なのはここは「権太坂」であることのみ。ところで、実際にこの坂を境木から元町まで何度も往復してわかることは、坂の下の元町からこの石碑辺りまでの間がきつく、そこを過ぎれば普通の坂に近づく。ここは坂の多い保土ヶ谷らしいところ。
| 名前 |
石碑 権太坂 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[土日月火水木金] 24時間営業 |
| 評価 |
3.6 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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旧東海道の本当の権太坂。石碑が立っております。箱根駅伝の権太坂ではなく、ここが本当の権太坂。急坂ですが、昔の旅人を思いおこすには、ちょうどよいあんばいです。