武田勝頼公の歴史に触れる。
血洗沢の特徴
武田勝頼公にゆかりのある歴史的なスポットです。
血洗沢は戦闘の歴史を物語る特別な場所です。
国道20号沿いに位置し、見逃さないようご注意を。
かつてはこの辺りに沢が流れていたのでしょう。「武田三代軍記」では3月9日夜、小山田信茂は武田勝頼を裏切り、城戸虎口よる鉄砲で攻撃し700余りいた勝頼の家臣はわずか43人戦力となる。その際、長坂釣閑斎(ちょうかんさい/光堅)、跡部大炊助(勝資)は闇夜に月毛の馬に乗り、提灯を持って敵前逃亡したところ、土屋惣蔵(昌恒)、安西平左衛門が追討し、跡部に追いつき、弓矢で撃たれ跡部は逆様に落馬し絶命。土屋惣蔵は跡部大炊助の首を勝頼のもとへと持参するため、ここで斬首し、その刀をここの沢で洗ったのでしょう。今では沢はありません。
道路沿いに古跡 血洗澤の碑があるのみで今は沢は見当たりません。土屋惣蔵が逃亡した跡部大炊助を追尾して斬り、この沢で血痕を洗い流したと云われています。
今は沢っぽいものが見当たりません。藪をよけるとあるのかも。歩いていないと気づけないかも。
武田勝頼公天目山記所縁りのスポットガイド血洗沢は、今は沢には見えないのですが、当時は沢があって、このときの戦闘で血に汚れた刀を洗ったのだそうです。
甲州街道沿いによく見てないと通り過ぎます。
いろいろありますね〜やりますね〜
国道20号沿いで見つけました。キョロキョロしているので、色々なものが見つかっておもしろいです。
| 名前 |
血洗沢 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 営業時間 |
[土日月火水木金] 24時間営業 |
| 評価 |
3.1 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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説明板によると、武田勝頼公を見捨てて逃げようとする跡部勝資を土屋昌恒が追いかけて斬る。その時の血のついた刀を沢で洗い流したとのことです。現在は水も枯れており、草が生い茂っていました。天目山栖雲寺を目指した勝頼公は、天目山の一揆や裏切った家臣に先をふさがれ進めなくなりました。「信長公記」によると、田野にて進退きわまった勝頼公は、民家の平屋敷に柵を立てかけて陣地を作ったそうです。恐らく現在の景徳院あたりではないかと思います。「甲乱記」の記載では、織田軍に発見され敵軍が迫ったことを知ると、跡部勝資は「近くの地下人を利用して天目山に入り、様子をみるべき」と献策。それに対して土屋昌恒が「未練がましい」等の反論をして、跡部勝資は赤面したとのことです。跡部勝資の最期については、「三河物語」では、いよいよ敵軍が現れた際に馬に乗って逃げようとしたので、土屋昌恒が弓で射落としたところ、群がった敵軍に討たれたとの記載があります。しかし「信長公記」では、勝頼公と共に自害したとのこと。よって跡部勝資がもし本当に逃げようとしたのならば場所は田野であり、こちらのスポットとは位置関係が異なるように思います。景徳院が所蔵する史料にも跡部勝資の名前があることから、田野で勝頼公に殉死したことは間違いないと思います。