手稲のバッタ塚、歴史を感じる場所。
手稲山口バッタ塚の特徴
歴史を知ることができる、手稲山口のバッタ塚では蝗害の重要性を体感できます。
散策やバードウォッチングに最適な、緑豊かで静かな川沿いの環境が楽しめます。
自然豊かな環境を維持していかなければならないと思いました。
手稲にある史跡。大きいな公園のようになっている。周りには工場群。敷地は公園のようなところを含めればかなり広い。海にかなり近い。
YouTubeの「へんないきものチャンネル」にちょっとだけ紹介されていました。ここ最近中東からインド辺りで起こっている蝗害が北海道で発生していたことの歴史的な記録。冬季間は閉鎖されていて、17時には閉園。蝗害は本来イナゴですが、中東のはサバクトビバッタ、そしてこの北海道の蝗害はトノサマバッタです。バッタ塚の他に野鳥が多く見られる場所です。
よもぎ摘みに行きましたまだ他の草が育っていず、よもぎをたくさんつむことが出来ました(*^^*)鳥の声が大きく聴こえ、気持ちいい場所です駐車場あり。
史跡の一つとして知られています。かつてこの地域でバッタの蝗害があり、それを埋めた地域として知られています。看板の記載によると、農耕が広く行き渡る前の北海道にも、何十年かおきに飛蝗が発生したことを、アイヌの人たちは語り継ぎましたが、記録に 残っている限りでは、明治13年に十勝に発生して、 日高、 胆振、 後志、 渡島、 などへ広がり、同18年まで農作物などに被害 を与え、開拓に着手したばかりの農家に深い絶望感を与えたトノサマバッタの飛蝗は、最大規模のものでした。 明治政府は開拓農家を励まし、 また飛蝗が津軽海峡を越えて本州へ進入するのを防止するために、 当時のお金で年約5万円を支出して、 飛煌の駆除に努めました。 当初はアメリカ、ヨーロッパ、中近東で行われた防除方法を参考にし捕らえた幼虫成虫等は穴に埋め、土で覆ったバッタ塚 を各地に数多く造らせましたが、現在ではほとんど残っていません。ここに見られる幅広い畝状の塚は、 効率よく工夫され、明治16年、主に札幌区の付近8Km内外の地域で掘り集めた大量の卵のう を、不毛に近い砂地に列状に並べ、 各列の上にその両側の砂を厚さ25cmほどかけて、 造られたものと推定されます。 当初 この様な畝は100条ほどありましたが、 昭和42年にそれらの一部が東京拓地(株)から札幌市へ寄贈され、 昭和53年8月21日に 札幌市指定史跡となり、ここに保存されています。
バッタ塚はともかく近くに新川河口入口があるので駐車場をよく利用します。なぜかたまにパトカーが来るんですよね。
個人的な穴場です。なんだかのんびり出来るのです。穴場のはずだったんですが、何故かコロナ禍以降、駐車場に車をよく見かけます。車が有るんだからもっと他に行けば良いのに思いながら青空を眺めています。バードウオッチャーの方も見掛けます。
史跡の一つとして知られています。かつてこの地域でバッタの蝗害があり、それを埋めた地域として知られています。
札幌市の開拓時代、大量発生した殿様バッタに畑の作物がほぼ全滅した年があったそうです。開拓時代の事ですから農作物がダメになったら冬をどう迎えるのか、その落胆と言ったら半端なかった事でしょう。そのバッタや卵を集めて土に埋めたのがこのバッタ塚だそうです。開拓時代って今現在から思うと、想像を絶する苦労の連続だったのでしょうね。その先人達の苦労のおかげで、札幌市もこんなに快適な素晴らしい街になったのですからホントに感謝です🤠❣️
名前 |
手稲山口バッタ塚 |
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ジャンル |
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電話番号 |
011-211-2522 |
住所 |
〒006-0860 北海道札幌市手稲区手稲山口324−308 |
HP |
http://www.city.sapporo.jp/ncms/shimin/bunkazai/bunkazai/syousai/33c_batta.html |
評価 |
3.5 |
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きれいに手入れされていますがはっきり言ってただの草っ原です。ドングリがいっぱい落ちていました。