高村光太郎の想い、ここに!
高村山荘の特徴
高村光太郎が疎開し過ごした、自然豊かな場所です。
小屋のような質素な作りが味わい深い建物です。
外観から感じる彼の思いを体感できる場所です。
自然豊かな場所で晩年は過ごされていたようですね!住居は劣化が進まないように囲われていました。
高村光太郎が疎開して来たと言うが、何と質素な生活をして居たのか想像を超えます❗️現在の高村山荘は、小屋と言う表現が相応しい家を東京に戻り空家を保存したい住民が覆い小屋を作りました。そして、その小屋をまた覆う鉄骨作りの建物に守られた山荘でした。
味があって面白いです。高村光太郎は東京のアトリエを空襲で失い、以前から親交のあった花巻の宮沢賢治の実家に昭和20年5月に疎開してきました。しかし、8月に宮沢家も空襲にあい、終戦後の10月から太田山口に住むことになりました。
冬(吹雪以外)はとても雰囲気があって、生活の厳しさも伝わり、素敵です。
地味な施設ですか、高村光太郎の凄さが解る。もっと展示方法や話題作りで知ってもらいたい。彫刻も詩も深い!
地味ですが、是非尋ねたい場所です。高村光太郎の交遊関係や才能が分かります。
母校の校歌に、あるから。
建物の保存状態が心配。見せ方、伝え方も工夫したい。
やはり現地で実物を見ると、智恵子への思いとか、戦争に加担したことへの自裁という光太郎の気持ちがよく分かる気がします。近くの光太郎記念館の展示も充実していて必見です。
名前 |
高村山荘 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP | |
評価 |
4.2 |
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彫刻家・高村光太郎が宮沢賢治の伝手で疎開してきて一人で過ごした山荘。二重の蓑屋で保護されており、いかにこの山荘が大事に扱われているかが窺えます。厠まで保護されているのにはびっくりしましたが、灯り取り用の『光』の文字窓に作家の並々ならぬセンスが垣間見えます。山荘だけでなく、作家がよく散策したという周囲の緑も美しく、じっくり散策されることをオススメします。ここで過ごした七年間、一度も作品制作はしなかったそうですが、最愛の妻を失い、多くの若者を戦地に送るという自責の念を抱えた作家は何を想い、ここで過ごしたのでしょうか。