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| 名前 |
大野神社 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
|
❶【参考 八名郡誌 大正15年】大野神社(大正15年の書による)[祭神] 健速須佐之男命(たけはや_すさのおのみこと・防疫の神)・明治20年(1887年)の大野村のしらべによれば、むかしは社号を「總社(そうしゃ)明神」と称して、5ケ村(※1)の産土神(うぶすながみ)であった。享保年間(1716年~1736年)に、神社への社参が遠隔で不便、という理由で、四ケ村に分霊を奉じて分祀した、とある。・明治5年に至り「大野神社」と改称したとある[いまはなき鐘]この宮には以前「永禄12年領主_菅沼定仙」奉納した鐘があったという。元禄7年に破損したために改鋳し作り直した鐘で、明治維新の時に「神社に梵鐘をおいてはわるい」という理由で淵龍寺に移したという。今も(大正15年現在)ある、とある。※大東亜戦争中である1941年8月30日、金属回収令により通常だと、お寺の鐘は供出されていて、現在は無いかと思われる。(未確認)[神社の名称について]・「永正(えいしょう)8年(1511年)」「大明神」とある・「寛文(かんぶん)13年(1673年)」「六所大明神」とある・「安永(あんえい)5年(1776年)」「總社(そうしゃ)大明神」とある・「明治20年(1887年)」「大野神社」とある[棟札について不可解なこと]・一番古い棟札は 「申3月26日」 と大工(だいく)、小工(しょうく)の名がよめるだけで、肝心の年号やその他が読めない。その札の裏に「嘉禎(かてい)元年(1235年)10月20日」「建長(けんちょう)5年(1253年)11月2日」「嘉元(かげん)3年(1305年)11月19日」と、前々建立の年月日が記入してある。この「申3月26日」を書くとき、古い棟札を見て書いたのか、それとも伝聞によって書いたのかは、よくわからない、とある。嘉禎(かてい)元年(1235年)といえば、八名郡内でも古い棟札となるのが、惜しいことには実物ではなくて写しである、とある。年号が読める棟札は、「永正(えいしょう)8年(1511年)」で、「嘉禎(かてい)元年(1235年)」の棟札から約200年間の長きにわたって、神社に棟札が残っていない。「長篠戦争の時、兵火に罹った(かかった)から古文書がない」という説があがるが、そうではない、とある。このあたり一帯が戦争で焼けてしまったのであれば、このあたりに古い棟札や次の永正、天文の棟札が残るわけはないのだが、実際には残っている、とある。5ケ村(※1)・・大野村・井代村・細川村・六郎貝津村・下平村[鎮座地] 大野町字奥林[社格] 村社。