連吾川のぬかるみに歴史あり。
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| 名前 |
設楽原古戦場いろはかるた「ぬ」 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
3.0 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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ぬかるみに 馬もしりごむ 連吾川連吾川流域は昭和の時代に「ほ場整備」が行われるまでは湿地帯のような場所だったそうなので、長篠合戦当時はなおさらだったのではないかと思われます。「参河国長篠合戦絵図」によると、武田軍の内藤昌秀隊が織田軍の滝川一益隊を追撃しようとしたが、周りは田んぼで畦道しかなかったため追撃をあきらめたとあります。また「甲陽軍鑑」でも、馬を10騎も並べて乗れるような場所ではなかったとあるため、辺り一帯がぬかるみで、そこに細い道が通っていた感じではないかと思われます。「信長公記」「三河物語」「松平記」などに見える武田軍の攻撃方法としては「隊を入れ替えながら戦った」旨の記載があるので、横に広がって一気にに攻め立てることは出来なかったのではないかと思います。