山科四之宮地蔵堂、賑やかなお地蔵様。
山科四之宮地蔵堂の特徴
愛らしい六体のお地蔵様が観光名所として人気を集めています。
夕方以降は静まり返り、心穏やかにお参りできる場所です。
山科四之宮地蔵堂は、賑やかな露店が魅力の地蔵盆が特長です。
写真を見ていると 臨済宗南禅寺派徳林庵の入口横にある駒札の隣に並んでいる愛らし六体のお地蔵様が「山科四之宮地蔵堂」ということになるのか?と思ったが山科地蔵の他に通称として、山科廻地蔵(めぐりじぞう)、四ノ宮地蔵と呼ばれているとのこで山科四之宮地蔵堂は、六角堂になる。
山科の地蔵盆は六ヶ所の地蔵堂の中では、1番露店が出店が 多くて賑やかで、人出も可なりの人々で賑わっていましたのですが昨年私がお参りさせていただいた時は、午後10時を廻っていましたが、地蔵尊の並びには露店の出店無し人の参詣はたまになく、これが山科の地蔵盆なのかとびっくりいたしました、その後2ヶ寺伺いましたが、門が閉じられていましたので、翌る朝速くお参りをさせていただきました。初盆の精霊は夜世中に奉られていられると聞きおょんでございますが、🙏
| 名前 |
山科四之宮地蔵堂 |
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| ジャンル |
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| 評価 |
4.7 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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写真の撮影日時は2026.02.08(日)11:25~11:32。本当に久しぶりにお伺いした。以下にこちらのお地蔵さまの基本データを記す。参考として、【京都市公式】サイト京都観光Navi、Wikipedia の小野篁、小野小町、小野道風、小野ミネ守(漢字はやまかんむりに今の字)、小野永見(篁の祖父)、小野毛野オノノケヌ(篁の曾祖父)、小野毛人オノノエミシ(篁の高祖父)、小野妹子(篁の高祖、別称・大徳、日本初の遣唐使)、小野仲若子オノノナカツワクゴ(第30代敏達天皇の夫人老好子の父で小野家として初めて資料に出てくる人物)など。すべて敬称略。合掌京都六地蔵巡りの一尊(山科地蔵)…創建年・仁寿2(852)開基・(六躰の地蔵すべて)小野篁※平安前期の公卿・歌人。最終官位は参議。昼は官吏として働き夜は地獄の閻魔大王の補佐として働いたというような数々の逸話を持つ。小野小町、小野道風(三筆の一人、能書家・歌人)は篁の子孫にあたる。六躰の地蔵尊が元々あった場所・六地蔵(京都市伏見区)移転年・保元2(1157)※第77代後白河天皇親政のとき、平清盛を通じ、西光法師に命じて現在の京都市伏見区・大善寺付近にあった六躰の地蔵尊を都の守護・都の往来の安全・庶民の利益結願を願って、一躰の地蔵尊は大善寺に残し、ほかの五躰を街道の出入口に分祀したうちの一躰(山科地蔵)。〈六地蔵巡り〉①大善寺(伏見地蔵)…奈良街道②浄福寺(鳥羽地蔵)…西国街道③地蔵寺(桂地蔵)…丹波山陰街道④源光寺(常盤地蔵)…周山街道⑤上善寺(鞍馬口地蔵)…鞍馬街道⑥徳林庵(山科地蔵)…東海道※尚、山科地蔵(六角堂)のうしろにある徳林庵は第54代仁明天皇第4皇子人康サネヤス親王の末葉、南禅寺第260世雲英正◯ウンエイショウイ(◯の字はりっしんべんに台)禅師が正平5(南朝)/観応元(北朝)(西暦1550年)に当地に開創したという。