小鹿三丁目の天白社。
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| 名前 |
天白社(天白さん) |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
5.0 |
| 住所 |
|
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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軍神社境内にあるこの天白社は、かつて小鹿三丁目にある「天白児童館」の敷地に鎮座していた。昭和30年頃まで「天白松」という松の大樹があった場所である。「駿河の一本松」とも呼ばれ、曲金住民の心の拠り所となっていたが、枯死の末、焼失するに至った。松を背景とした富士山の景観は素晴らしく、近郊農民にとっては野良仕事の合間の憩いの場であり、喪失感は大きかったと伝えられている。江戸時代後期の「駿河国新風土記」をはじめ、陸軍参謀本部による地形図にも記載されるなど、地域の象徴的な存在であったが、今では記録を探すことさえ容易でない。天白松に祀られていた天白社は、足の患いや行路安全に御利益があるとされ、大きな藁草履を奉納する風習が残っている。また、農民や旅行者の藁草履が壊れると天白さんからお借りして、新しい草履を返したという。こうした風習は、天白松のすぐ脇に東海道の裏道が通っていたことや、この天白神が農業神とされていたことに由来すると考えられている。戦時中、天白松の土地が三菱の工場建設のため買収されたことから、天白社は軍神社境内の楠の森に遷された。戦後の農地解放で土地は返されたが、天白松の焼失により、再度軍神社境内に遷されたという経緯がある。訪問時に藁草履は奉納されていなかったが、祠の傍らに木片が置かれていた。天白松の一部だろうか。なお、天白松があった元の鎮座地にも小さな祠が建てられているとのことである。(加藤三男「曲金の郷」、新村光男編「歴史古き郷 静岡豊田の里 -郷土の学習のために-」より)