感動深まる江戸遺産の旅。
旧佐渡鉱山採鉱施設 大立竪坑櫓の特徴
佐渡金山の江戸時代の遺産で、歴史を感じる場所です。
現在修繕中ですが、見学できる日が楽しみです。
佐渡金山遺構の一つとして、感動深まるスポットです。
2025(R7)GWも工事中でした。落石対策工事を令和8年3月16日までやる、と看板がありました。
2024年8月、、未だ工事終わらずカバーがかかっていました。見てみたかった、、
数年前に内部を見学しました。高校が機械科だったせいか、坑内にまだ僅かに残る機械油の臭いに妙にワクワクしたものです。佐渡金山周辺の施設共々、早く世界遺産に登録されて欲しいものです。なお2022年現在は修理中のようでシートで覆われており、外観すら全く見られない状態でした。
修繕中の2022年8月に訪問金山は江戸と昭和の2時代で注目を集めるがこちらは江戸時代の遺産。個人的には戦争の資金集めに使われた背景のある昭和時代の遺産より、手彫りで掘り進めた原始的な江戸の金山の方がイメージでこちらの改修が終わったら再訪したい。
一般の見学する場所からは、少しだけ離れているので車で移動された方が便利です。竪坑とは、鉱山の下に降りるためのエレベーターのようなもの。近くに「道遊の割戸」の裏側を眺められる駐車場がありますので、そこに止めて歩かれるとよいと思います。
修理しているいう事はこっちも見学できる様になるのかな。ぜひとも見学したい。
こちらも一見することをおすすめします。
入ることができません、アイテムが古すぎる可能性があります(原文)不能入內參觀,物件可能太老舊了。
奉行、金山で知識を絵た後に見ると、感動深まります。
| 名前 |
旧佐渡鉱山採鉱施設 大立竪坑櫓 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
0259-74-2389 |
| 営業時間 |
[水木金土日月火] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
3.2 |
| 住所 |
|
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旧佐渡鉱山採鉱施設 大立竪坑櫓(おおだてたてこうやぐら)は、日本の鉱山技術史において特別な位置づけを持つ重要文化財だ。1877年(明治10年)に完成したこの施設は、日本で最初の本格的な洋式立坑として知られ、外国人技師を招聘して西洋の最新技術を導入するという、明治新政府の近代化政策を象徴する存在でもある。佐渡の鉱山史を語るうえで欠かせない人物が、ドイツ人技師アドルフ・レーだ。レーは1875年に佐渡へ招かれ、それまで日本ではほとんど行われていなかった垂直方向に坑道を掘る技術を持ち込んだ。この新技術は、従来の横方向の坑道掘削よりも深く安全に鉱脈に到達でき、佐渡金山に画期的な生産性向上をもたらした。レーは約3年の任期中に大立竪坑の開削を指導し、完成を見届けて帰国したが、その功績は佐渡の人々によって「鉱山再興の恩人」として長く記憶された。当初完成した大立竪坑の深さは約165メートルで、地下約50メートルごとに水平の坑道が設置された。馬力でケージ(昇降カゴ)を昇降させる方式だったが、1880年代後半には蒸気機関に転換され、1900年代初頭には電動化が完了するなど、常に最新技術を導入しながら進化を続けてきた。三菱が鉱山経営を引き継いだ1896年以降、大立竪坑の設備はさらに近代化が進んだ。昭和に入って軍需拡大の影響を受けると、1940年(昭和15年)に現在見られる高さ約13.9メートルの鉄骨造の堅牢な竪坑櫓が建設された。新しく設置された滑車やケージシステムは当時最新鋭のものであり、坑内の深部まで効率的な鉱石の搬出が可能になった。この櫓の下層部には巨大な貯鉱庫が備わり、鉱石の積み替え作業を迅速化するためにチップラーという装置も備えられた。また、隣接する地下機械室には75馬力の巻揚機と強力な空気圧縮機が設置され、削岩機など坑内作業に必要な圧縮空気を供給する役割も担った。佐渡金山の最盛期には、大立竪坑とその関連施設を中心とした採鉱システムで月に数万トンの鉱石が搬出され、1940年には金約1,500kgという歴史的な記録を達成するまでになった。だが戦争が激しくなるにつれて金の生産は制限され、坑内作業は軍需金属に転換された。戦後も採掘は再開されたものの、規模は徐々に縮小されていき、1989年(平成元年)に閉山を迎えるまで、大立竪坑は実に112年の間途切れることなく稼働を続けた。その最終的な深さは実に352メートルに達し、長年の採掘で地下深くまで伸びた坑道は海面下の水準にまで迫っていたと言われる。佐渡金山には興味深い逸話も多く残されている。例えば道遊の割戸と呼ばれる巨大な露天掘り跡は、欲深い坑夫たちが金脈を掘りすぎて山を真っ二つに割ってしまった、というユーモラスな伝説が残されているが、実際には採掘方法や地盤崩落によるものだ。これらの伝説もまた、佐渡がどれほど豊かな鉱山地帯だったかを物語る証拠である。周辺には高任坑や道遊坑など、大立竪坑と連動した採鉱施設が数多く残り、全体で一つの生産システムを構成していた。さらに鉱石を精製するために設置された北沢浮遊選鉱場は「東洋一」と称されるほどの規模を誇り、大立竪坑で掘り出された膨大な鉱石を効率よく処理していた。これらの施設群は現在も往時の姿をとどめ、佐渡の産業遺産群として国の重要文化財に指定されている。また、この鉱山施設の裏には、多数の外国人労働者や朝鮮半島出身者が労働力として動員されたという歴史もある。戦前の最盛期には1000人以上の外国籍労働者が坑内で働き、厳しい労働環境や賃金待遇などを巡って労働争議が起きたことも記録されている。こうした歴史を伝える資料や施設も残されており、単なる産業遺産を超えた社会的な意義も感じさせる場所だ。2024年には、佐渡金山の産業遺産群が世界文化遺産に登録され、この大立竪坑櫓もその中心的な存在としてさらに注目されるようになった。明治から昭和までの鉱山技術の進歩、そして社会の変化をそのまま映し出すこの史跡は、単に日本近代化の象徴というだけでなく、人々が金という資源を求め、時に繁栄し、時に苦難を味わった生きた証でもある。朽ちかけた鉄骨と古びた機械群を眺めながら、その歴史の厚みを改めて感じることができる場所である。