下国府遺跡の歴史探訪を!
下国府遺跡の特徴
下国府遺跡は平安時代前期の官衙跡であり、歴史感が漂います。
二重の溝と掘立柱建物が見つかり、文化的価値が高い場所です。
佐渡国の政治の中心を示す重要な史跡として知られています。
あんまりおもしろくないかもですね。観光客向けになっていないというか。まあただ変なテーマパークみたいに魔改造されるよりはいいと思いますけどね。
あんまりおもしろくないかもですね。観光客向けになっていないというか。まあただ変なテーマパークみたいに魔改造されるよりはいいと思いますけどね。
駐車場が無いので路駐。綺麗に草刈りされていました。
駐車場が無いので路駐。綺麗に草刈りされていました。
| 名前 |
下国府遺跡 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
0259-27-5000 |
| 営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
3.5 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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下国府遺跡(しもこういせき)は国の史跡で、平安時代前期の官衙跡とされる二重の溝と掘立柱建物が見つかり、佐渡国の政治の中心を示す。下国府遺跡は新潟県佐渡市竹田に位置し、1976年に国の史跡に指定された。名称は「しもこういせき」と読む。発掘調査は1975年に旧真野町教育委員会が行い、外側幅約1.4mの溝で南北36m・東西32mを囲み、さらに内側に幅0.2〜0.7mの溝で南北26m・東西23mの区画を形成する二重構造が確認された。その内部からは桁行3間・梁間2間の掘立柱建物が2棟並んでおり、計画的な配置と北東隅の屈折する形状が注目される。出土した須恵器の杯などから9世紀前後と判断され、平安前期の佐渡国府関連施設とみられる。佐渡国は天平15年(743)に一度越後国に併合されたが、天平勝宝4年(752)に再び独立した。国府は真野地区の国中平野に置かれ、京からの道の終点として政治拠点の役割を果たした。下国府遺跡の周辺には条理状の地割が北側に、奈良時代の瓦を伴う礎石建物跡が西側にあり、南方には佐渡国分寺跡が残る。国府の中枢そのものは未発見ながら、この一帯全体が国府関連の空間をなしていたとされる。遺跡名の由来は江戸時代の元禄検地帳に「下国府」と記されたことに基づくが、対になる「上国府」の存在は確認されていない。伝承としては、順徳上皇が承久の乱後に配流された際、最初は佐渡国分寺に行在所が置かれたと伝えられる。その後、泉の地に黒木御所が造営され、上皇は崩御まで滞在した。黒木御所跡は現在も市指定史跡となっており、下国府遺跡周辺はこのような中世以降の配流伝承とも重なる地域である。ただし、下国府遺跡自体を順徳上皇の行宮とする直接の史料はなく、考古学的には国府関連の施設と理解されている。周辺には関連史跡が集中している。佐渡国分寺跡は奈良時代創建の国分寺で、国指定史跡として礎石や瓦の出土から壮大な伽藍配置が知られる。吉岡總社神社は各郡の神を合祀した総社で、能舞台が市指定文化財となっており、古代の国府制度の一端を示す。さらに、近隣の檀風城跡(雑太城跡)は中世の拠点で、国衙伝承の圏域に含まれる。これらはいずれも真野地区を佐渡の歴史的中枢と位置づけている。下国府遺跡は規模は小さいが、佐渡国府の実像に迫る手がかりを与える。二重の溝と整然と並ぶ建物跡は、官衙の一画を計画的に造った証拠である。周辺の国分寺や総社と合わせてみることで、律令制下の佐渡がいかに制度的に整えられていたかが浮かび上がる。地名の由来や上皇配流伝承など、未解明な部分も残るが、それらもまたこの地の重層的な歴史の一部を物語っている。訪れた際には、広がる平野と近くの史跡群をあわせて思い浮かべると、古代から中世へと続く佐渡の歴史の厚みを実感できる。