旧東海道で出会う光廣の狂歌碑。
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| 名前 |
光廣 狂歌碑 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 評価 |
3.0 |
| 住所 |
|
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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旧東海道 境橋の京都側に「光廣 狂歌碑」があります。【うち渡す 尾張の国の 境橋 これやにわかの 継目なるらん 光廣】「光廣」とは、藤原朝臣光廣です。狂歌集「古今夷曲集(1666年)」にて詠まれました。当時の境橋は、尾張と三河が折半で工事したようで、尾張側半分が木橋、三河側半分が土橋になり いわゆる「継橋」と呼ばれる橋だったようです。貴族という上からの視点で、段取りの悪さを揶揄した歌なのかと思いました。歌川広重の東海道五十三次の浮世絵と同様に、当時から ユーモアのある文化があふれていて、何か平和な空気を感じます。藤原朝臣光廣は 権大納言正二位 (公卿が昇りつめる高い官位) で、幕末の岩倉具視も このポストでした。屋敷は 京都の烏丸にあり、光廣は俗に「烏丸」と称されたらしいです。(旧東海道を日本橋から 休みながら歩いて23日目。2026年2月 )