階段を登る陵墓、驚きの発見!
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| 名前 |
檜尾塚陵墓 参考地 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
3.5 |
| 住所 |
|
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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とても陵墓参考地があるとは思えない階段を登る陵墓です。先述の階段はあまり整っておらず、簡素な造りです。兆域は石柵で囲ってありますが中には塚らしきものもなく、自然地形が広がっています。ただ宝篋印塔があったので、それがお墓ということでしょうか。1周できるかもと思いましたが、危険だったのでやめておきました。こちらは後村上天皇生母の阿野廉子の墓とされています。ここから東にあるコウボ坂陵墓参考地と同じ被葬者候補です。阿野廉子:父は阿野公廉、母は不明正安3年(1301)誕生したが、生後左大臣洞院公賢の養子となった。元応元年(1319)西園寺禧子が後醍醐天皇の中宮に冊立された際に中宮の掌侍として宮中に入る。後醍醐天皇の寵愛を受けたと思われ、義良親王(後村上天皇)を始め5人の皇子女を儲けた。元弘2年/元徳4年(1332)後醍醐天皇が隠岐に配流され、同行。元弘3年(1333)禧子が薨去してからは有力な妃として台頭。延元4年/暦応2年(1339)後村上天皇が即位し、皇太后になる。正平6年/観応2(1351)新待賢門院の号を宣下正平14年/延文4年(1359)薨去。享年57か58