古代の息吹を感じる、恩志呂神社。
恩志呂神社の特徴
延喜式内社として由緒ある神社で歴史を感じられます。
駐車場があるので、アクセスがとても便利です。
秋祭りには麒麟獅子舞の伝統行事が行われています。
駐車場があるのはありがたく石段を登りと単独峰なので木がなければかなり見晴らしはよい延喜式内社の旧村社で白村江の大敗後の六七八年に奉幣勅使があったというから対半島への備えとして重要な地だったのでしょう秋祭りには麒麟獅子舞が全戸回られるという。
延喜式神名帳に載っている、古代より続く由緒ある神社です。御祭神は、火闌降命、大山祇命、天津日高日子番能迩迩藝能命、木花開耶姫命、火明玉命です。国道9号線沿いの小山の上部に祀られています。この山には上ノ山城跡があり、城跡を神社にしたものだそうです。山を横から見ると上部にも平坦地があるのがわかります。石の鳥居横に集会所があるので、数台分の駐車スペースがあります。小山の上にあるので、急な石段を上ります。手すりは無いので、健脚でなければ参詣が難しいです。途中に荒神社のあるテラスがあり、更に石段が続きます。屋根のある門をくぐると広場があり、更に石段を上った先に木造拝殿があります。背後の本殿は全体がトタンで覆われていて、全く見えませんでした。拝殿前の狛犬は、阿形の方は子持ちです。広場から岩井温泉方面が展望できます。天武天皇、白鳳4年に奉幣勅使が下向したという記録が残る史跡でもあります。(出典、岩美町誌、昭和43年発行)
「恩志呂神社」の名前は(おしろのじんじゃ)もしくは(おしろじんじゃ)。鎮座の地名は恩志(おんじ)、以前は恩智と表記です。神社名の由来は個人の名前からか、地名からかのどちらかです。いずれにしても神仏を敬愛する心情溢れる神社名です。20200728 蒲生川に沿って国道9号を下り、恩志橋の手前の右カーブ真ん中辺りの道路沿いに鳥居が見えました。朝方には例祭幟が靡いていましたが、午後には収納されています。「恩志呂神社」は式内社で山の頂きに鎮座です。116段(数は正確ではありません)を左側へ上がると途中と本殿場所と二ヶ所から蒲生川上流の但馬方面がよく見えています。山陰道(但馬街道)の沿った位置にて鎮座していますから特に但馬、京の都からの役人が下向してくる動向がよく見えたことでしょう。階段の一歩一歩に滑らないように深い縦の直線が刻まれています。雨や雪、ミゾレの日の備えです。拝殿前にも敢えて不揃いの石がコンクリート状に埋め込まれています。細やかな配慮がなされています。
| 名前 |
恩志呂神社 |
|---|---|
| ジャンル |
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| HP | |
| 評価 |
4.3 |
| 住所 |
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恩志呂神社(おじろじんじゃ)。鳥取県岩美郡岩美町恩志。式内社(小)、旧村社。【祭神】火闌降命(ほのすそりのみこと) 大山祇命 天津日高日子番能迩迩藝能命 木花開耶姫命 火明玉命「火闌降命」は、日本神話の『古事記』や『日本書紀』に登場する神で、天孫降臨した瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)と木花開耶姫(このはなさくやひめ)の間に生まれた3柱の御子のうちの1人(次男とされることが多い)。資料によると、創祀年代は不詳。第40代天武天皇の御宇、飛鳥時代の白鳳4年(676年)、勅使が奉幣したと伝わる。平安時代の寛治2年(1088年)11月、小野篁が私願で鎮座ともいう。ただし、小野篁は延暦21年(802年)生まれ、仁寿2年(853年)没。明治になり、村社に列し、昭和3年(1928年)11月10日、神饌幣帛料供進社に指定された。参道には、「太神宮」と彫られた江戸時代に造られた灯篭があり、鳥居がある。その後は石段を上る。とあります。