多武峯の紫蓋寺がある場所。
増賀上人墓 念誦崛の特徴
増賀上人墓は、歴史的な背景を持つ紫蓋寺があった場所です。
周辺には多武峯の奥ノ院が存在し、歴史の深さを感じられます。
静かな雰囲気の中で、訪れる方々に特別な時間を提供しています。
この辺りは多武峯の奥ノ院と呼ばれた紫蓋寺(しがいじ)という寺院があったところです。明治維新までは念仏常行堂、地蔵堂、鐘楼や僧坊が立ち並んでいたといいますが、今は見る影もありません。すべて廃墟となり石垣や石段、おびただしい墓や地蔵尊などが残るのみです。墓参りに来た形跡もなく忘れられたような地区です。僧賀(そうが)上人の円形の貼石塚「念誦崛(ねずき)」階段を150段登った一番奥まった場所にあります。石で造った2段積みの墓で、直径が4mもある大きさで、その形式はインドのサーンチの釈迦の墓にも似ています。はかのてっぺんには元々「南・無・増・賀・上人」と刻んだ五輪塔があったことが「西国三十三か所名所図会」からわかっています。念誦崛の隣には「戒波羅密妙音大和尚爪髪塔」が立っています。
| 名前 |
増賀上人墓 念誦崛 |
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| ジャンル |
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| 評価 |
3.8 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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紫蓋寺(しがいじ)という寺院があったところです。明治維新までは念仏常行堂、地蔵堂、鐘楼や僧坊が立ち並んでいたといいます。今はすべて廃墟となり石垣や石段と中・近世の石塔群を残すだけです。念誦崛(ねずき)と呼ばれる僧賀(そうが)上人の円形墓が石段を登った一番奥にあります。石で造った2段積みの墓で、直径が4mの円墳です。現在は消失していますが「南・無・増・賀・上人」と刻んだ五輪塔があったと「西国三十三か所名所図会」(1853)に記されています。増賀上人(917~1003)は平安中期の貴族階級出身の天台宗の高僧です。比叡山で修行後、名聞を嫌い、応和三年(963)弟子の如覚の勧めで多武峯に入山しました。増賀上人の話は、『今昔物語』や『徒然草』など多くの書物で語り継がれています。