五十嵐神社で心身洗われる。
五十嵐神社の特徴
五十嵐性のルーツがある神社で、家族の歴史を感じられる場所です。
境内には疱瘡神が祀られており、御利益を期待できる神社です。
樹齢何百年の杉やヒメサユリが咲く、清々しい雰囲気の静かな境内です。
霊体の「覚悟」を感じました。開拓のために派遣されたのではなく、この地が平穏であるように、この地で祈るために、いらしたように感じました。
空気がキレイです社務所は誰もいませんでした立派な杉木があります階段を上がっていくと 右手に飯田小学校神社裏手に飯田保育園があります。
とても空気が澄んでいて気持ちが良かった大きな杉の木を触ると暖かかった。
静かで雰囲気のある神社でした。社務所で御朱印を頂けます。留守の場合は電話すると受け付けて貰えます。規模の大きな神社ではありませんが、トイレ、駐車場もきちんと整備されています。全国の五十嵐さんがたくさん集まってくるんでしょうね。
何十年ぶりに 来ました。 手入れが良くされて 気持ち良いです。 何百年の杉が見事です。 近くに 素晴らしい 管理された神社 とても 感動です。 ヒメサユリが 咲いてます❗素晴らしい。
喜谷さんの単身赴任先である新潟に今回息子が連れて来た友人、その名は五十嵐くん。曰く五十嵐と言う姓のルーツは新潟で、曾祖父までは新潟県で暮らしていた事。その由来とらる神社もあるとの由。と言う訳で五十嵐君のルーツを探るべく男たちは三条市に飛んだ。五十嵐神社の御祭神は古墳時代の皇族で第11代垂仁天皇の皇子・五十日足彦命(いかたらしひこのみこと)との由。越後を開発した後、この地に没した由。この方が五十嵐一族の祖になる。今回は偶然にも宮司さんにお会いする事も出来たので、貴重なお話しを聞かせて頂くとともに、神社への参拝の御指導や柏手を打つ際の細かな所作の解説もして頂けた。因みに宮司さんの御名前は金沢さん。五十嵐さんでは無かったのは御本人にも判らない謎としと残った。因みに新潟県と福島県の五十嵐さんは『いからし』さんで、両県から遠ざかると『いがらし』さんの比率が上がるらしい。宮司さん曰く『神様は清々しいので濁らない(濁音は付かない)』と笑いながら仰って居られました…(^_^;)
令和五年十月。五と十の付く重要な月。五十嵐姓の自分にとって、前回時間がなく頂けなかった御朱印をいただくべく、訪れなければならない場所でした。当日連絡し、「参拝後社務所でお待ちください」ということでお待ちし、いよいよ御朱印をいただくため社務所の中へ。いざ御朱印いただくことになりましたが、筆ペンの墨がきれており、書けないという....しかし、宮司さんの計らいでご自宅でいただくことに。自宅ではお座敷に招いていただき、新しい筆ペンで、御朱印をいただきました。お忙しいところお時間をさいてご対応頂きありがとうございました。追記令和7年5月10日に再度伺いました。今回は奥様直筆の御朱印です。この度もありがとうございました。
みなさんも書いていますが、五十嵐性のルーツとなる神社。ずっと行きたかったので、行けてよかった。冬季のため、雪よけに囲いがあるとのこと。今度は雪がないときに行きたい。御朱印、お守りを宮司さん?に連絡し対応いただいた。社務所まで来ていただけたが、電話連絡し、住所を確認してお宅にお伺いした方が助かるとのこと。次回からはそうしたい。
御朱印をいただきました。とても気さくにお話しを聞かせて下さいました。
| 名前 |
五十嵐神社 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
0256-46-4007 |
| 営業時間 |
[日月火水木金土] 24時間営業 |
| HP |
https://www.city.sanjo.niigata.jp/sanjonavi/see_do/history_culture/jinja_jisha_joshi/2289.html |
| 評価 |
4.5 |
| 住所 |
|
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五十嵐神社(いがらしじんじゃ)。新潟県三条市飯田。式内社(小)伊加良志神社、旧県社。【祭神】五十日帶日子命(いかたらしひこのみこと)【関係氏族】五十嵐氏資料によると、創建年代は不詳。上田郷・下田郷の開拓者で、第11代垂仁天皇の皇子である五十日帯彦命の墓近く、命を祀るために創祀されたという。中世、長く当地を支配した五十嵐氏からは氏神として崇敬され、当初は五十嵐家の氏神として館内(五十嵐館)に鎮座していた。現在地から南に200mほどの地ともいわれ、また、鬼門鎮護のため、館から北東方向に鎮座していたともされる。上杉家の跡継ぎ争いである「御舘の乱」で、五十嵐氏は敗北した上杉影虎方に与したことで没落し、当社も衰微した。江戸時代になり、村松藩の藩主堀家から庇護され、館が排され丘陵地に遷座し、社領1反4畝が安堵された。古くから神仏習合し、往時は「若一王子」と呼ばれ、弘法大師空海筆伝「若一王寺」の額も伝わる。明治になり、神仏分離令を経て現社号に定め、宮内省から「御陵墓伝説地」として認可された。明治5年(1872年)、村社に列した。明治7年(1874年)に現在地に遷座し、再建された。明治10年(1877年)、村内の十社を合祀し、大正2年(1916年)に県社に昇格した。現在までに、主祭神を五十日帯日子命とし、大日孁尊・大山祇命・応神天皇・建御名方命・倉稲魂命を合祀する。社宝に、五十嵐小文治吉辰が武芸に優れていたため、弓の名手だった那須与一と親交があったことから、那須与一が使用したとされる木盃、小野道風書伝の額などがある。なお、当社は全国の五十嵐姓のルーツとされ、五十嵐姓の始祖が、当社御祭神である五十日帯日子命になる。全国五十嵐会がある。なお、式内社「伊加良志神社」の論社は他に、三条市北五百川字宮地に鎮座している八木神社がある。とあります。