二本松少年隊の志士よ、ここに眠る。
曹洞宗 巨邦山 大隣寺の特徴
二本松少年隊のお墓があり、歴史を感じる場所です。
大隣寺の大銀杏は美しく、訪れる価値があります。
静かな環境で清掃を行う住職の姿が印象的でした。
二本松藩10万石の藩主、丹羽家の菩提寺と格式の高い寺であり、山内には戊辰戦争で戦死した二本松少年隊の慰霊碑が立ち並んでいます。少年隊の戦いは、会津・白虎隊と並ぶ悲劇ではあるのですが、このような状況に追い込まれた経過は、過去に何度もドラマ化されてきた白虎隊と異なり、あまり知られていません。ドラマ化されないのはある理由が存在するのですが、後で説明します(笑)。もちろん二本松藩も、当初こんな幼い少年たちを最前線に投入する予定など無かったのです。その点は、最初から正規の部隊として編成された白虎隊との大きな違いです。また年齢も白虎隊は16歳以上と今なら高校生からですが、少年隊は12〜13歳と小学生高学年並みの子供まで混じる雑多な構成でした。さて話を戊辰戦争時に戻すと、慶応4年(1868年)5月1日に奥州への関門、白河城を陥落させた新政府軍は北上するにあたり、二つのルートを模索していました。一つは本道の奥州街道で、白河から須賀川→郡山→二本松へと至るルートです。よく整備され重量物の大砲などを移動させるにはうってつけですが、須賀川は会津藩の勢力圏であり、また奥羽越列藩同盟の盟主、仙台藩の藩兵が郡山に駐屯しており、侵攻にはかなりの抵抗が予想されました。もう一つは奥羽街道のやや東を並行して進む山岳道路で白河→棚倉→三春→二本松へと至るルートです。不案内な山道なので迷ったり奇襲を受ける可能性もありますが、同盟に所属している棚倉藩も三春藩も小藩であり、攻め落とすのは難しくはないでしょう。二本松藩としては、新政府軍が奥州街道からくるには仙台藩を排除しなければならないし、山岳ルートを進む場合は道が険しく時間がかかるし、5万石の三春城も立ちはだかるので、防備のための時間的猶予はまだあると考えていました。白河の新政府軍はどちらのルートにするか決めたわけではないのですが、6月16日に茨城県平潟港に増援部隊1500が上陸したので、合流するため平潟と白河を結ぶルート上に存在する棚倉城をまず奪取する事にしました。6月24日に板垣退助が指揮する800の新政府軍が総攻撃をかけ、城はその日のうちに陥落します。これに震えあがったのが隣接する三春藩です。同盟の盟主、仙台藩は被害を恐れて棚倉城を守ろうとはしなかったし、さらに新政府軍に1500の増援が加われば到底勝ち目はありません。空しく城や町は焼き払われ、多数の死傷者が出る未来は見えています。三春藩は新政府側に密使を派遣して、同盟には秘密裏に降伏交渉を開始しました。結果、7月16日に三春藩主みずからが門前に立ち新政府軍を迎え入れ、城を引き渡します。驚愕したのは二本松藩です。いきなり二本松への障害のない侵攻ルートが口を開いたのですから。三春藩は交渉中に同盟からの妨害を避けるため、直前まで誠実な友軍のように振る舞っていたから尚更です。二本松藩側からは、鍵をかけたはずの勝手口を三春藩が内通して開けて、盗賊を屋内に招き入れたように見えました。三春藩の先導を受けた新政府軍の動きは早く、周辺の抵抗拠点を排除して7月29日には二本松城の外郭線である大壇口と供中口への展開を終えています。少年隊も含む二本松藩が218名もの戦死者を出した、攻城戦の開始です。早朝から始まった戦いは昼ごろにはほぼ決着がつき、城は炎に包まれて家老7名が次々と自決し落城しました。親しい身内を多数失った二本松藩側の、三春藩の背信行為への憎しみは凄まじく、その利己的行動を揶揄する歌を作ったり、嫁や婿のやりとりを拒絶して「外国人とは結婚しても良いが、三春だけは絶対ダメだ。」と近年まで言われていたのだとか。ただ時を経て世代もかわり、「もし三春が降伏していなければ、二本松と同じ運命が待っていただけであり、そうした犠牲を三春に強いるのはエゴに過ぎないのではないか? 三春も同じ戦争の犠牲者ではないのか?」と言った冷静な反応が主流となり、感情的対立は沈静化して今に至ります。なにより会津と長州の場合と異なり、二本松と三春は隣同士で引っ越しもできない以上、対立したままでは日常生活に支障が出るのです。ここまでくれば分かりましたね(笑)。少年隊のドラマを撮ろうとしたら悲劇性を際立たせるためにも、原因を作った三春を悪役として描かざるを得ないのですよ。それがまだ残っている微妙な感情に火をつけかねない危険があります。要するに現地では歴史がまだ「生乾き」状態な訳ですね。
二本松藩の藩主丹羽氏の菩提寺。丹羽氏歴代の墓や霊屋、戊辰戦争で戦死した二本松少年隊の墓がある。
二本松少年隊の墓参り🙏13歳から17歳の少年隊士🪷💖二本松義士🪷決して裏切らない🤗二枚舌の政治家は恥を知りなさい🔥
2024.6.8. (土)ツーリングで訪問二本松少年隊の志士の墓前で合掌少年隊のお墓周辺は、境外とは明らかに空気が違っていたように感じました。
二本松城跡に行きたかったのですが、雨が結構降っていたので、断念しました。代わりに、大隣寺という大きなお寺に行ってみました。駅から結構歩きました。戊辰戦争でも焼けなかったお寺です。桜の大樹があり、ちょうど満開でした。雨の中でも存在感がありました。二本松も、会津若松と同じく、徹底抗戦したところです。少年剣士の悲劇は有名です。大隣寺までには、碑もありました。
福島県二本松市の曹洞宗 巨邦山「 大隣寺」の大銀杏がとても綺麗です。2023/11/12に訪れました。
偶然、ご住職の奥様とお孫さんが少年隊士の墓前の清掃をされていました。見ず知らずの訪問者である者に、気持ちの良い挨拶をしていただき、なおかつ、お忙しい中、親切にも少年隊士達の墓所のご説明をしていただきました。少年隊士の墓前にきれいなお花をお供えされており、日々日常的にご供養されておられることに驚くと共に、二本松の歴史を大切にさ れていると感じられました。
二本松少年隊士墓木々に囲まれた静かな、お寺の敷地内に並んでいました。年齢が各々の墓に刻んでありましたが、今で言う中高校生の歳ばかり…こうした大きな犠牲の基に今の時代があるのかなぁ…と。
二本松少年隊のお墓があります。御朱印は本堂入口に書き置きがおいてあり、お賽銭箱に¥300おのおの入れるシステムになってます。日付は◯月吉日となってます。
| 名前 |
曹洞宗 巨邦山 大隣寺 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
0243-22-1063 |
| HP | |
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
|
周辺のオススメ
二本松藩主歴代の菩提寺。現在の本堂は文化八年(1811年)の改築によるものだそうです。境内には二本松藩主丹羽家の墓所(市指定史跡)、二本松少年隊の墓、枝垂桜などがあります。二本松少年隊の墓の説明に「義に殉じた」とありますが、それだけで片づけることは許されないことだと思いました。