八百八の橋、歴史の里。
八百八橋碑の特徴
明和・安永の時代に八〇八基の石橋を築いた歴史があります。
武州橘樹郡上丸子村にゆかりのある記念碑が存在します。
ほしかとは、下魚鰯の油粕を意味する重要な言葉です。
八百八の橋をかけ続けた方がいらっしゃるようです。野村文左衛門という方の偉業をたたえた内容でした。近くにベンチもあり、ゆっくり見学ができそうでした。(近くに喫茶店やファミレスなどもありました。)武蔵小杉駅北口から歩いて1~2分ぐらいと近いです。ただ歩道橋の影にあるので目立たない場所にあるので見落とさないように注意してください。
こんなところに、碑があるらしいです。
『明和、安永のころ、武州橘樹郡上丸子村のほしか屋野村文左衛門は、中原街道沿いの村むらに千個の石橋をかける事を思いたち、寛政三年この世を去るまでに、八〇八基をつくったと伝えられいる。後世この橋を八百八橋とよんできた。ここにもとの橋を復元し、翁の偉業をたたえるものである』と書いてある。「ほしか」というのは「乾干」とも書き、魚肥のことらしい。53
| 名前 |
八百八橋碑 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[火水木金土日月] 24時間営業 |
| 評価 |
4.3 |
| 住所 |
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「ほしか」とは、肥やしにしかならない下魚鰯の油粕のこと。中原街道は、このような商品の輸送路であったことから、「肥やし街道」とも呼ばれていました。八方睨みの101、男の道ですね。