中庭のタマクスの木で歴史を感じる。
横浜開港資料館の特徴
横浜港開港50周年を記念して建設された歴史ある建物です。
中庭に立つタマクスの木が象徴的な訪問ポイントとなっています。
明治期の貴重な資料が21万点展示され、横浜の歴史が学べます。
幕末の黒船来航の辺りの歴史がとてもよくわかる資料館です。第一回日米会談が行われたときのアメリカ側による描写は教科書等に載っていて有名ですが、その時に描かれていた木がこの資料館にある木とのことです。横浜歴史散歩の出発点としてぜひ立ち寄って欲しいと思います。
2025年7月の横浜観光で発見。徳川幕府の終わりに必ず出てくる「日米和親条約」調印の地で開港にかかわる資料が展示されている。2F奥には横浜と同様に外国との窓口になった長崎の資料も展示されていた。
横浜の開国とその後の成長について知ることができます。適度な情報量で、試料も厳選されていて面白かったです。
2025.5.10(土)入館料400円です。横浜市在住の65歳以上は200円です。玉楠の木の下の木の板なのかヒノキぽい香りがプーンと香ってきて、いい匂いでした。はじめは玉楠の木だと思いましたが、楠の木はそんな香りしないよねえ?と、母と話しました。古い新聞があって、それは面白かったです。
こちらは2024年08月01日の訪問となります。山下公園最寄りの歴史資料館です。資料館としての開館(新館)は1981年ですが、隣接する旧館が建てられたの自体は1931年だそうで。当時は英国領事館でした(横浜市指定文化財)。中庭の玉楠の木が有名で、この木はペリー来航時の石版画にも描かれ、慶応の大火や関東大震災で飛び火をくらうもその度に再生。市の史跡にも指定されています。高さ12m、幅は8m超との事。中庭に天然の圧力をかけているというか、確かにオーラは感じましたね……。中庭は休憩所みたいな感じで使われていたりもするようです。横浜開港のシンボルとして知られ、横浜開港150周年記念事業のマスコットキャラクター”たねまる”も玉楠の木の精という設定となっています。ここは日米和親条約締結の地でもあります。
横浜開港資料館で、関東大震災100年を回顧する、「大震災を生き抜いて」展を見学しました。今年は関東大震災から100年と言うことで、県内各地の博物館でイベントが開催かれましたが、やはりこちらが展示する、市民が描いた絵や日記は圧倒的にリアルで、震災の恐ろしさが良く伝わりました。もしも、同じ地震がまた来たらと思うと、本当に心配です。私が住んでいる地域のリアルな被災写真もあり、心底ビビりました。多くの人が見て教訓にしてほしい展示でした。なお、横浜の各歴史系の博物館は、開港資料館は横浜開港以後の文書・写真が充実しています。また都市発展記念館は、戦前の横浜の現代考古学的資料、横浜歴史博物館は江戸時代以前の横浜史という風な、棲み分けができているので、目的に応じて使い分けができます。中でも、こちらの近現代の資料の充実ぶりがすごいです。
1981年開館。この建物は1931年から1972年までイギリス領事館として使われていた建物です。写真にはありませんが、中庭に幅8m超のタブノキがあり、これはペリー来航時の石版画にも描かれている木です。1866年の大火や1923年の関東大震災でも火が燃え移る被害を受けましたが、その都度再生しました。「日米和親条約締結の地に残るタブノキ」として横浜市の史跡に指定されています。博物館には外国人居留地で発行された新聞や、当時の横浜を描いた瓦版や浮世絵、絵葉書などが所蔵されていますが、私は未訪問です。
横浜開港資料館は、横浜の歴史が展示され閲覧できる。説明文には『 旧英国総領事館英国工務省の設計で、 昭和6年(1931)に建てられました。 鉄筋コンクリート造3階建 一部地階付、銅板葺屋根をもつ邸館風建築で、 古典主義建築の秀作です。英国総領事館が昭和47年(1972) に横浜での業務を停止したのち、 昭和56年(1981)に、 この建物を利用して横浜開港資料館が開館 しました。 』と書かれています。
初めて見る写真なども多く見応えありました。大人500円企画展も震災直後で火災で焼けるまでの間の写真など興味深く見る事が出来ました。
名前 |
横浜開港資料館 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
045-201-2100 |
住所 |
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HP | |
評価 |
4.0 |
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2025年7月13日午後訪問横浜市、大さん橋の近くにある資料館当日は自転車で辺りを回っておりこちらに来やしたよ館内では横浜港の歴史などを色々な展示で学べやす、企画展では長崎の展示もやってやした建物もとてもレトロで中庭には大きな玉楠の木があり、こちらは横浜港開港当時の絵にも描かれた木でとても歴史を感じさせたさあ☆