絶景広がる三峰山の神社。
河内神社の特徴
落ち葉に埋もれた道を登る先に絶景が広がる神社です。
三峰山稜線の南端に位置する無人神社が魅力です。
鳥居が美しく、心が洗われる神聖な空間です。
河内大明神は三峰山の登山の手前にある神社で神社前から子持山や赤城山がみえます。河内と名前が付くので、やはり河内国一ノ宮の牧岡神社の神様をお祭りしたようです。藤原氏がこの地に関わりあいがあり河内の国からのようです。
駐車場までたどり着けるのか不安になるほど狭く落ち葉に埋もれた道路をひたすら登ります。神社までは徒歩約20分。
絶景神社です!オススメです👍
徒歩20分ほどの無人神社。展望はそこそこ、もっと見たいのなら少し上のパラグライダー場に行くと良い。
鳥居がキレイ。
祭神は、大巳貴命、日本武尊、少彦名命他八柱。上野国神名帳の従三位大社明神と比定される古社ですが、河内神社の創建は、西暦1159年(平治元年)に、河内国出身の藤原義信が、沼田の領主となった際に、河内国一之宮だった枚岡神社の分霊を勧請したのが始まりと伝えられています。
三峰山稜線南端にある神社。南側駐車場から30分程登ると着きます。南~西の展望がよく、沼田市を一望できます。
名前 |
河内神社 |
---|---|
ジャンル |
/ |
住所 |
|
評価 |
3.9 |
周辺のオススメ

明治42年(1908年)に近郊の神社を合祀したとある。数えてみたら境内神社あわせて62社が合併している。この神社の祭神が多いのはそういうわけである。❶【参考 河内神社 薄根村誌 1959年】河内神社祭神は(明治の合併前)大己貴命を主として、少彦名命、日本武尊を相殿である。上野国神明牒に“従三位 大社明神”とあるのは、この神社の事であると思われる。明治42年(1908年)に近郊の神社を合祀した。明治45年(19012年)神饌幣帛料供進神社に指定される。〇[神社の名前の由来の説]河内神社は利根川の内地に在り故に河内をもって社號になった。といわれる。他説に、「昔 三浦景泰(かげやす)が当地に封じられた時に、うじ(苗字)を“沼田”と改めた。という。貞和2年(1346年)の春に、景泰が尊信する河内国の枚岡神社から、この山の上に勧請してきたので、河内神社と名がついた」との説もある。「しかしながら、枚岡神社の三座の祭神と一つとしてあわないので、やはり 最初の説がただしいのだろう」とある。〇[明治41年の大合併]01_村社_菅原神社_硯田字清水(鎮座)__境内末社6社(地神社・大山祇社・大峰社・榛名社・八幡宮・秋葉社)08_村社_熊野神社_井上字熊野09_村社_武尊社_宇楚井字森__境内末社1社(地神社)11_村社_愛宕神社_原字塚井原__境内神社2社(十二社・地神神社)14_村社_八幡宮_堀廻字岩の上__境内神社1社(日枝社)16_村社_熊野神社_大釜字宮坂__境内神社2社(菅原神社・疫神社)19_村社_大山祇神社_善桂寺字羽十二__境内神社3社(武尊神社・諏訪神社・菅原神社)23_村社_武尊神社_戸神字木落__境内神社社(菅原社・愛宕社・天峰社)27_村社_諏訪神社_町田字手古又__境内神社1社(大山祇社)29_無格_諏訪神社_硯田字薄根__境内神社5社(淡島社・愛宕社・八幡宮・大山祇社・諏訪社)35_無格_熊野神社_井土上字熊野__境内神社3社(秋葉社・大山祇社・土神社)39_無格_八幡宮_井土上字稲荷__境内神社1社(大山祇社)41_無格_須賀神社_堀廻字原__境内神社2社(八幡宮・日枝社)44_無格_熊野神社_堀廻字鳥居場__境内神社2社(八幡宮・大山祇社)47_無格_諏訪神社_大釜字中道__境内神社社(大山祇神社)49_,無格_八幡宮_善桂寺字屋敷添__境内神社社(大山祇社)51_無格_稲荷神社_善桂字上ノ原__境内神社1社(疫神社)53_無格_日山神社_戸神字金山__境内神社社(須賀社)55_無格_日枝神社_同村西沢56_無格_熊野神社_同村久根下__境内神社2社(八幡宮・武尊社)59_無格_稲荷神社_同村字丸山60_無格_富士神社_同村宇宮辺61_無格_八幡宮_同村字西沢62_無格社_下沼田神社_同村字馬場[鎮座地] 宇楚井字三峰山[祭神] 大己貴命(おおあなむちのみこと・だいこくさま) 日本武尊(やまとたけるのみこと・防火の神) 小彦名命(すくなひこのみこと・酒の神) 他8柱。