河川台場跡で楽しむ、京阪の緑。
楠葉台場跡の特徴
京阪橋本駅から徒歩5分、広い芝生がある公園です。
全国でも数少ない河川台場の跡で歴史を感じます。
京阪電車から間近に見れるので、楽しいスポットです。
犬の散歩でたまに行きます。活気があって広くて良い場所ではありますが、ドッグランだと言い張る方を見かけました。スポーツの練習をしている方を注意して追い出していました。ノーリードで走っている小型犬の集まりを見たこともあります。施設としては"公園"ですよね…?ちょっとこわいです。
大阪方面から旧国道1号(現府道13号)を走り、京阪橋本駅手前の「橋本小金川」の交差点を右折、次の「橋本駅南」交差点を右折してすぐにあります。駐車場はないので、少し離れた京阪橋本駅前のコインパーキングを利用することをお勧めします。台場跡はとても広く整備が行き届いています。所々に案内板や説明板があるので、それを頼りに散策します。目の前に淀川の堤防があるのでかなり視界を遮られてしまっていますが、台場自体が緩やかな丘陵になっているので、最上部に行くと淀川や対岸の島本町や大山崎町だけでなく桂方面も確認することができます。国史跡 楠葉台場跡 (くずはだいばあと) 平成23年2月7日指定楠葉台場は、慶応元年(1865)に江戸幕府が築造した砲台場(大 砲を備えた要塞)で、設計の総責任者は勝海舟でした。台場の設計図(「河州交野郡楠葉村関門絵図一分計」、写真)から、西洋の築城様式である「積堡式」が採用され、3基の砲台や高い土塁、 深い堀が設けられていたことがわかります。台場築造の目的は、開国を求める異国船が突如、大阪湾に現れたことから、大阪湾に近い京都(朝廷)の警備強化の一環で、淀川を遡ろうとする異国船からの防備とされています。しかし、京街道のルートを曲げて台場内部を通過させていることから、実際は関所(関門)として尊皇攘夷派浪士らの京都侵入を取り締まる ことにありました。慶応4年(1868)1月、大坂城から京都へ向けて進軍した 旧幕府軍は鳥羽・伏見で新政府軍と衝突し、戦闘が始まりましたが、旧幕府軍は後退を続け、戦線を立て直すために橋本陣屋(ハ幡市)と楠葉台場に集結します。そこへ新政府軍に寝返った津藩 (藤堂家)が淀川対岸の高浜から砲撃を加えたため、旧幕府軍は 応戦したものの、退路を断たれることを恐れ、大坂へ落ち延びて行きました。その後、台場は新政府軍が接収、跡地は民間へ売り渡され、明治末ごろには姿を消したようです。『現地案内板より』〈名称〉 楠葉台場(くずはだいば)〈所在地〉 大阪府枚方市楠葉中野芝2〈分類〉 台場〈築城主〉 徳川幕府〈築城年〉 元治元年(1864)〈主な城主〉 福山藩・宮津藩・小浜藩〈遺構〉 土塁。
見た感じは普通の広い公園と変わらないです。綺麗に整備されているので各案内板を見ながら歩くといいかもしれません。
京阪橋本駅から南側へ徒歩5分、広い芝生に大きな看板「国史跡樟葉台場」が見えます。近付くと水堀を備えた西洋式の砲台の説明、慶応元年(1865)に江戸幕府が建造、大砲等を備えた敵からの防御拠点、これを台場と呼んだらしい。当時、大阪京都を結ぶルートの関所として天皇攘夷派が京都侵入を取締る為に建てたとある。慶応4年(1868)旧幕府軍(徳川慶喜、会津藩、新撰組)は鳥羽伏見の戦いで新政府軍(薩摩、長州、土佐藩)と激突。旧幕府軍は後退、立て直すため橋本陣屋、樟葉台場に集結する。しかし新政府軍に寝返った津藩(新藤藩)が対面の高浜からドカン!と砲撃、台場は新政府軍が占領するこになる。その後、跡地は民間に売られ、姿を消す。但し、日本で唯一遺構が残った事から2011年に国の史跡指定を受け、今は立派な公園。盆踊りやら市民の憩いの場となったのです。因みに対岸の高浜にも新藤藩の事も書かれた説明と石碑。こちら側の砲台跡の1つであるゴルフ場は既に廃業、草の原。伏見鳥羽の戦いは有名だが樟葉でも戦いが有ったことが書かれています。ただね、樟葉台場跡は国の指定の史跡となるが、高浜砲台はゴルフ場も無くなり、こんなにも大きな差が出るのか?そんな事も感じました。
1月初めの17時30分過ぎ、それにしても灯りもなく、真っ暗でした。かなり整備されていて、説明板もいっぱいありました。鳥羽・伏見の戦いでポイントとなる地でもあり、平安京ができてから、歴史に名を残している人は全て、この辺りを往来したのだなと思うと、感慨深いものがあります。それにしても暗い、、いつかリベンジです。
以前は竹や雑草だらけでしたが、整備されて綺麗になりました。家族連れに良いと思います。
京阪沿線にある河川台場です。設計者は勝海舟。現在は史跡公園ですが遺構が分かりやすく見れたのでとても良かったです。
大きな広場ですが芝生広場ではないので遊びにくいかも知れません。愛犬はよろこんでいましたが。
京阪電車から見える広い緑の公園。台場と言えば異国防御のための東京のお台場が有名ですが、こちらは内陸の台場。外国というより江戸幕府が長州軍が西から攻めてくるのを防御するために大阪と京都を結ぶ京街道上に設けた台場。この10年くらいで公園として整備されています。
| 名前 |
楠葉台場跡 |
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| ジャンル |
/ |
| 営業時間 |
[日月火水木金土] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
3.7 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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周辺のオススメ
以前は一面の田圃が整備されて公園に。