ノシャップ岬から樺太師範学校を偲ぶ。
教學之碑の特徴
稚内半島のノシャップ岬に位置し、絶景の海を堪能できます。
昭和14年開校の樺太師範学校を偲ぶ、歴史深い記念碑があります。
公園内にあるため、のんびりとした時間を過ごせる場所です。
海も見えて、景色が広くて素晴らしいです。
親戚の名前を探しに稚内半島を訪れました。石碑の文字が見えにくくなっています。今後、訪問を計画している方は、早めの旅行計画をお薦めします。稚内公園自体は、見晴らしも良く、普通の観光地です。
教學之碑とは、かつて樺太豊原市に存在した、今で言う小中高等学校の教員の育成を目的とした、樺太師範学校(からふとしはんがっこう)を忍ぶ碑です。私が訪れた時には、航空自衛隊のF-15J戦闘機2機が哨戒飛行を行っていました。樺太師範学校の前身は、1918年(大正7年)4月に樺太庁中学校内に小学校教員講習所が併設されたのが始まりとなり、それから教員が育成され始め、1939年(昭和14年)4月1日 に「樺太庁師範学校」(男子部・女子部)が樺太豊原市に開校。1945年(昭和20年)4月1日に樺太の内地編入に伴い、樺太医専・樺太青師と共に文部省に移管されますが、8月11日以後、ソ連軍の樺太侵攻・占領により、南樺太全土の学校は教育活動を停止し、その後廃止となります。1989年(平成元年)7月8日 、樺太師範学校創立50周年を記念し、同窓会により北海道稚内市の稚内公園内に記念碑「教学の碑」が建立されました。以下、碑文(建立誌)全文建立誌我が母校、樺太師範學校は昭和十四年四月、四十五万島民の文化の向上と教育振興の重責を担う教員養成機関として、豊原市に開校したが、男女共學という専門學校教育の実施は我が国最初の画期的な試みで、上田光曦校長(純煌)の卓越した教育理念によるものであった。爾来、至誠一貫を本義とする教學網要のもと品格の洗練・知性の向上・情操の醇化・体躯の鍛錬に励み、樺太開拓に貢献する教育者としての資質の琢磨錬成に努め、師弟一如の人間性豊かな校風を築き樺太師範學校の盛名を高めつつあったが、昭和二十年終戦により、その歴史を閉じることとなった。然し、樺太師範學校の教育精神は同窓生の教育実践に生かされ、戦後、我が国の復興と平和文化国家建設に大きな役割を果すと共に、多くの教え子に継承されている。母校は既にないが教學の精神と共に我々の胸中に厳然として存続している。茲に全国に居住する同窓生九百余名開校五十周年を記念し、樺太島を望むこの地に母校永遠に不滅なりの思いをこめて、郷土樺太の石を台座に嵌め込み教學の碑を建立する。平成元年七月八日樺太師範學校同窓会。
ノシャップ岬の小高い丘にある公園の中にあります。
自分の母校(=青春時代)がある土地はそこに見えるのに、行けない。そのもどかしさ、悲しさは、きっと当事者にしかわからないのでしょう。普通に行き来できる日が、一日も早く来ますように。
1989年(平成元年)に、建立された樺太師範学校の記念碑である。サハリンの母校を偲んで建立のようだ。
昭和14年4月開校の樺太師範学校を偲ぶ碑です。
| 名前 |
教學之碑 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
0162-24-1216 |
| 営業時間 |
[火水木金土日月] 24時間営業 |
| 評価 |
3.8 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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旧樺太(現在のロシア・サハリン州ユジノサハリンスク)の豊原にあった「樺太師範学校」を記念して建立された記念碑です。樺太師範学校は、日本で初めて男女共学を採用した師範学校として知られています。戦後、樺太は日本の施政下を離れたため、学校の跡地に記念碑を建てることはできませんでした。そのため、1989年(平成元年)、開校50周年を記念して樺太師範学校同窓会が、ゆかりの深い稚内公園にこの碑を建立しました。碑には卒業生たちの母校への思いが込められていて、台座には樺太の石が使われています。氷雪の門や九人の乙女の碑などと共に、樺太との歴史的なつながりを今に伝えるモニュメントの一つです。稚内港や宗谷海峡を望む景色とともに、北の大地の歴史に思いを馳せることができます。