戦国の記憶、首塚の地へ。
首塚の特徴
慶長五年の関ヶ原合戦の激戦地、中山に位置しています。
戦争で戦死した大将の首を埋めた歴史ある史跡です。
直江兼続と最上義光の激闘を感じられる貴重な場所です。
慶長五年関ヶ原の合戦のとき、最上軍と上杉軍が中山一帯で猛烈な白兵戦を繰り広げた。そのとき戦死した両軍の霊が葬られたのがこの首塚だそうです。
| 名前 |
首塚 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[木金土日月火水] 24時間営業 |
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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❶【参考 首塚 西郷村誌 1978年】首塚慶長5年(1600年)直江山代守兼続と最上義光の戦争の時、直江の右翼軍は、最上氏配下の上山里見勢の為に敗軍となり、大将 本村盛親 上の台にて戦死し、これを大将塚に埋め、其の他の主なる将校の首級を埋めたる所なりと。ちなみに大将塚 赤坂上の台の小岡に道を上がれば、右側に小塚ありて後に1本の松あり、その根元に小さな苔むし刻める文字もわからぬ墓石あり。これを大将塚という。❷【参考 首塚 上山郷土史 昭和2年】慶長5年(1600年)9月17日 上杉の直江兼続が畑谷城をぬき、長谷堂城を攻撃する。別将 横田宗俊、篠井泰俊、本村盛親等、中山口(今の中山駅のほうから)より進み上山にむかう。里見越後、物見山にむかひうち盛親をたおす。この戦、上杉方は非常の苦戦におちいり、15将、3000人をうしなうとある。