周辺のオススメ

スポンサードリンク
スポンサードリンク
スポンサードリンク
こちらは、もともと尾瀬氏によって開基されました。正中2年(1325年)その子孫である尾瀬兵衛は、南朝の後醍醐天皇に味方した為、北条範貞によって滅ぼされました。それによって当寺も廃寺となりましたが、のちに再建されました。こちらには、文化6年(1809年)に描かれた「間引き」の絵馬が残されています。天明の大飢饉のとき、この辺りでは幼児の多くが川へ流された…と高山彦九郎が旅日記に書き残しているといいます。幕末の慶応4年には、会津藩に備えた官軍の本陣となり、前橋、高崎、吉井、足利、安中、沼田の各藩に沼田藩を加えた軍勢が駐屯しました。この官軍に会津勢が奇襲をかけ、この辺りは戦場となりました。この戦いは戸倉戦争といわれ、会津勢は家々に火を放ったので、村々は大きな被害を受けました(;_;)/~~~