水戸城大手門で感じる威厳。
水戸城 大手門の特徴
土塁に取り付く大手門は、国内屈指の規模感を誇る重要な史跡です。
幅約17メートル、高さ約13メートルの巨大な櫓門が圧倒的な存在感を示しています。
2020年に復元された水戸城大手門は、格式の高い歴史的建造物です。
夜梅祭で大手門の2階に登ることができました。年3回しか公開されていないようで貴重な体験でした。建築には釘を使っていないそうで、驚きました。
水戸城 大手門は、水戸駅の北550mほどの茨城県水戸市三の丸にあります。水戸城内で最も格式が高い門であり、明治時代に解体されるまでの間、城の正門としてその威容を誇っていました。かつての大手門は、何度かの建て替えを経てはいるものの、もとは佐竹氏が水戸城主だった慶長6年(1601年)に建てられたものだと考えられています。現在見られる門は、令和2年(2020年)に天保年間(1831〜1845年)の姿で復元したものです。高さ約13m・幅約17mと巨大な櫓門であり、水戸城跡のシンボルとも言える存在となっています。その古風な外観は江戸時代初期の様式を残しており、土塁に取り付く大手門としては国内屈指の規模を誇ります。また、復元工事に伴う発掘調査により、門の四隅に大型の瓦塀(練塀)があったことが判明し、発掘された瓦塀の実物を覆う形で外観が整備されました。門正面、北側の瓦塀下部に設けられた小窓からは、当時の瓦塀の姿を見学できます。『水戸城(みとじょう)』は、平安時代末期に江戸氏が築いた館が始まりとされ、後に佐竹氏が拡張しました。慶長5年(1600年)関ヶ原の戦い後、徳川家康の十一男・頼房が入封し、水戸徳川家の拠点となりました。多くの近世城郭が石垣を用いるのに対し、水戸城は大規模な空堀と土塁で構成されているのが最大の特徴です。那珂川と千波湖に挟まれた台地という天然の要害を活かした構造になっています。昭和20年(1945年)大東亜戦争時の米軍による空襲で多くの建物が失われましたが、近年の復元事業により大手門・二の丸角櫓・弘道館などの往時の姿を取り戻しつつあります。現在は城跡の多くが学校(水戸第一高校、水戸第三高校、附属小学校等)の敷地となっており、「文教の府」としての歴史を継承しています。
弘道館をでたら 目の前にありました。水戸城はないですが門をくぐると、現存する小学校、中学校高校なんかがありました。今でも学問に通じて使用されているのが斉昭公の凄さが感じられました。
平成21年、水戸城大手門のものと伝わる門扉が坂東市万蔵院で発見、水戸城に寄贈された事を契機に令和2年に復元木材などすごく重厚感のある立派な作りです。
水戸城大手門に寄ってみた(無料 2025.8)さすが立派な大手門です。雰囲気あります。更に徳川斉昭公の像が門脇で見守っています。ここを潜った先には二の丸の跡、雰囲気のいい茨城大学付属の幼稚園、小学校がありました。いまでも学びの場であった当時の意思を受け継いでいるんですね。
水戸城内で最も格式が高い門。大手橋から見た姿がとても格好よく威厳がある。像は名君、第9代藩主水戸斉昭。弘道館のある三の丸と二の丸を繋ぐ。令和に入り、創建当時の伝統工法で復元された立派な門。この門をくぐると美しい白壁塀が続く。今では敷地が中学や高校になっているところも門はそれぞれ立派に復元されてある。水戸城は徳川御三家の一つ水戸藩の居城。元々この地は鎌倉時代、馬場氏の館があり、江戸氏、佐竹氏と渡り、江戸初期に徳川家康の息子で水戸藩祖徳川頼房の居城となる。建物の多くは、明治初期の火災と昭和中期の空襲や老朽化で失われた。幕府に遠慮した頼房は、天守を構えず、二の丸に三階櫓を建てて代用。本丸が手狭で倉庫となり、二の丸が実質本丸だった。外郭は石垣を用いずに土塁のみ。北を那珂川、南を千波湖に挟まれている。見晴台からは那珂川がよく見える。二の丸の南口の柵町坂下門の側には徳川頼房の像がある。文武両道の人物で、徳川3代将軍の家光から最も頼りになる身内として重宝された。本を片手に読む人物は、水戸黄門で格さんのモデルになった江戸中期の儒者、安積澹泊(あさかたんぱく)。
2020年(令和2年)に復元された「水戸城大手門」です。新しくとても綺麗で美しい大手門です。平成21年に坂東市の古刹で発見された水戸城の城門と伝わる扉が本市に寄贈されたことから始まり、復元に向けた機運が高まる中で、水戸市は5年をかけて学術的な調査および検討を進めてまいりました。そして多くの皆様からの「一枚瓦城主」による寄付金が充てられ復元に至りました。工事については、伝統工法を水戸の地で継承するべく奮闘された地元業者をはじめ、産学官民一体となり完成することができました。なお、今回開通になりました大手門は車両通行禁止となり、自転車・バイクについては押し歩きとなりますので御協力をよろしくお願いいたします(水戸市ホームぺージより)
水戸城の二の丸と三の丸の間にある大手門。おそらくは那珂川とかつての千波湖を繋いていた濠が今は空堀になっており、そこを跨ぐ形で橋が架かっている。結構に深い堀でそこからは階段で登ってくることもできる。2020年に復元された門ということで結構に新しい。地方の城の大手門にしてはかなり大きく、御三家の威容を感じる。この辺一帯の掘割の強固な感じはしつつ、石垣のない土塁で築かれた城というのがまた趣深く素晴らしい。
茨城県は水戸市に有ります。「水戸城大手門」です。なかなか立派な、どデカい大手門が復元されていました。大手門の前には本丸跡同様に、やはり深い谷が有り自然の要害となっていました。深い空堀の役目ですね。今は道路が通っていて、沢山の車が行き来しています。この水戸城大手門は戦国時代末期、佐竹氏が在城した時に建てられたのが最初らしいですね。(恐らく本丸跡に有る薬医門と同じぐらいの時期に大手門も合わせて建設したのでしょう)その後は徳川家在城時代に何度か新しく建て替えられている様です。現在の大手門は江戸時代末期の天保年間(1831−1845)徳川家時代の物を復元したらしいです。これは見応え有りですね。やはり徳川御三家の1つだなぁと…感じさせる規模の復元大手門でした。是非に訪れてみましょう。烈公像なども有りました。
| 名前 |
水戸城 大手門 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
029-306-8132 |
| 営業時間 |
[水木金土日月火] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
4.2 |
| 住所 |
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現在見られる門は、令和2年2月に天保年間の姿で復元が完了した門です✨高さ約13メートル・幅約17メートルと巨大な櫓門であり、水戸城の威厳を放つそんな存在となっています😀土塁に取り付く大手門としては国内屈指の規模感です。水戸城はほとんど石垣が存在せずに土塁や空堀で造られたお城で本丸も存在しなかったそうです。本丸のかわりに見た目は三層の櫓が、本丸の代わり😀この建物は、内側では、5層になっていたそうです💁♂️