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駅名は、日立に住まい、大沼でその生涯を逐えた、四倉の船主として一大財閥を築き上げた初代金沢長者の息子 佐藤 正 (康徳院泰寿正安居士昭和六十年七月二日没 行年九十才菩提寺 茨城県日立市金沢山長福寺)佐藤正翁の葬式には当方も参列。式には日立市長 立花留治(長女の婿)梶山静六(のちの衆参議長 元内閣官房長官 総理大臣にも立候補して、実力者としての役割を果たして生きた、茨城県出身の有力者)らも現れ、金沢長者一族は日立の巨人の崩御に、みな泣き崩れておりました。)が 名付け親と伝わる。代々金沢長者屋敷と深く繋がる当方には、先代より頂いた様々な名器、教えられた名勝と歴史の数々を、常陸を訪れる方々に、少しずつ公開して行こうと思う。茨城大学教育学部合格後、この大沼駅より旧制の水戸師範学校(本丸は現在の水戸一高、三層櫓は現在の附属小学校、三の丸と弘道館は、昨今復元された迫力ある大手門をくぐり、大手橋を渡って観覧出来ます。)に通学していた現在の四代目~五代目一族。水戸二高に通っていた根本ふよ(行年九十八才)との間に、男女十数名の後継ぎを育てて終戦直後の茨城の復興に大尽力を尽くす。初代金沢長者と呼ばれた末吉翁(昭和31年10月17日改名瑞照院寿翁玄光居士 行年八十八才妻はる 瑞光院寿宝妙照大姉 昭和二十四年九月二十日没 )"源の朝臣 藤原氏を祖にもつ。七市郎(明治十六年没 妻よて)の子。大祖先は北面の武士 藤原(佐藤)久左衛門の子孫。故人 享年89才)は、坂東、奥州にも入り 遥か安達太良 阿武隈(福島の地)を興し又、頼まれて日立銅山(大煙突煙害)日立造船、日立製作所等とも親交を深め、この大沼駅前より東金沢一帯の金沢長者となる。現在の荒神谷付近迄を私有地とし大沼の溜池より流れる川数本を敷地に通し、田畑を開墾。やがて終戦を迎え、後々多くの末裔に分かれはしたが、一大藤原の一族として、戦前、戦後の日立発展の立役者の家系でも在る。