静かな森の中、平将門の胴塚。
神田山 延命院(平将門公胴塚)の特徴
菅生沼方向へ進むと見つかる、将門の胴塚を祀るお寺です。
平将門公の胴体が埋葬されている真義真言の寺院です。
周囲には大手町の首塚とは異なる静寂で不思議な雰囲気があります。
西暦935年平安時代中期に余りにも国が滅びてゆく様をみて新しい武士の時代を夢をみて平の将門のお墓です。
真言宗の寺。駐車場は寺の奥にあり。寺の入口から境内の中にかけて幾つも駐車場へ誘導する看板があるので迷うことはない。境内には観音堂・毘沙門堂・谷原不動の3つのお堂がある。真っ赤な柱の建物が観音堂、その隣が不動堂、少し離れて毘沙門堂となっている。天台宗の三尊形式の場合観音が本尊で不動毘沙門が脇侍だがここでは不動堂の裏に将門公が埋められているので不動が本尊だろうか。不動堂の真裏にある神田山と刻まれた柱と明王風の像がある場所が将門公の胴体を埋めた胴塚。グーグルマップで将門山古墳とされている場所がこの胴塚だと思われる。胴塚の横にある南無阿弥陀仏碑は将門塚保存会の寄贈なだけあって東京の将門塚のものと瓜二つ。というか元々東京の将門塚に立っていたものだという。その隣には大威徳将門明王と刻まれた碑。将門と大威徳明王が習合したのであろうか、不明。境内西側にある将門山新御廟所はただの檀家の墓地だった。
将門の胴塚で知られる延命院にチェックイン。将門の首は藤原秀郷によって京都に送られ、残された遺体をひそかに神田山の延命院境内に葬ったと言われている。
真言宗智山派に属し、神田山如意輪寺延命院といい、また篠越山延命院観音寺ともいいます。本尊は延命地蔵菩薩です。天保6年(1835)に建てられた「延命院復興記」碑によると、開基は京都東寺の僧宗助で、中興の祖は来世法師とあります。現存する観音堂は、関宿城主牧野成春公の助力で宝永7年(1710)に建立され、堂内の聖観音立像は伝教大師の作と伝えられています。境内にある不動堂の裏に小さな円墳があり、この塚を将門山、または神田山と称しています。将門は、天慶3年(940)2月14日の合戦を迎えて、石井の北山に最後の布陣をします。最初は風上に立って優位な戦いでしたが、急に風向きが変わり、正面から突風を受ける立場になったとき、敵の矢を受けて倒れました。その首は藤原秀郷によって京都に送られ、東市にさらされたといわれています。残された将門の遺体をひそかに神田山の延命院境内に葬ったのが、この胴塚と伝えられています。この地は、相馬御厨の神領だったことからあばかれることなく、今におよんでいるといわれています。
将門公の同塚。東京の大手町には首塚(将門塚)があるが、同塚はこちらにあったのですね。塚を囲むように、見守るように並ばれている仏様、お地蔵さんが象徴的です。
県道252号線から菅生沼方向にちょっと入った台地の縁にある将門の胴塚があるお寺さん。標識通りに進めば北側の奥まったところに広い駐車場とトイレがある。御堂の北側にカヤの古木が立つこんもりとした塚と石碑そしてお地蔵さんが… 訪れる人は少なくひっそりとしている。
将門公の胴塚で知られている延命院。荘厳な雰囲気で身が引き締まります。都内からは少し遠いですがまた訪れたいと思います。
見逃してしまいそうな、入っても良いのかなと思う様な場所にあります。尚更興味がわいてきます。大手町の首塚が有名だと思いますが、こちらも来てよかったです。
将門巡りをされている方は、ぜひ立ち寄ってください。こちらは胴塚とされており、将門のからだが安置されているとのこと。まわりはお墓なので静かに速やかに参拝しましょう。(*^^*)
名前 |
神田山 延命院(平将門公胴塚) |
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ジャンル |
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電話番号 |
0297-35-0554 |
住所 |
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HP | |
評価 |
4.2 |
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猿島阪東三十三観音の28番札所として参詣させて頂きました。境内裏に広い駐車場があります。本堂、観音堂ともに開かれておりご本尊と観音様を間近で拝見させて頂きました。榧の木の下に、将門山古墳があります。周囲の桜が満開でとても華やかな御開帳でした。ありがとうございました。