笹子姫伝説の舞台へ!
| 名前 |
笹子稲荷 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
5.0 |
| 住所 |
〒215-0004 神奈川県川崎市麻生区万福寺3丁目1−10 |
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笹子姫伝説後白河法皇の娘、笹子姫の伝説が残る治承元年(一一七七年)、後白河法皇が連座した平清盛追討の謀議が発覚し、清盛の追及の手は後白河法皇の身辺にも及んだ。笹子姫は治承二年六月に京都を発って、同年十一月に武蔵国都筑郡古沢の荘に落ちのび、その後万福寺の山、現在の稲荷が建つところに従者と共に、流れ着いたという。万福寺に落ち着いた笹子姫は我身の無事を後白河法皇に知らせると、法皇も喜び姫の安泰を祈願して、一刀三礼仏(仏像を一刀彫るごとに刀を措いて三拝し、入魂の仏像に仕上げるという彫刻法)の阿弥陀如来を使者に託し姫に送り届けた。笹子姫は仏像を安置するため高石の権現山に堂宇を築いたが、それが現在の麻生区高石にある法雲寺だといわれている。姫は阿弥陀如来を守り高石の山に庵を結び余生をおくったという。笹子稲荷の祠の中に安置されているのは「狐の上にのる笹子姫の神像」である。高石の法雲寺住職の説によれば、笹合稲荷が建つこの場所は方角からいっても法雲寺の裏鬼門に当たり、笹子姫の墓所だったのではないかという。この稲荷の祭神が女性であるのは、縁結びに霊験あらたかであるかららしい。また、女性神なるが故の細心な気配りが必要で、稲荷のまわりの筍を穫る時や伸びた樹木の枝を払うにも、お祈りしてお断りをしてから事を進めないと、怪我をしたり事故を起こしたりすることがあるという。