江川邸で紐解く歴史探訪。
江川邸(韮山役所跡)の特徴
江川邸は江戸幕府の世襲代官の住居で、韮山反射炉の建立者です。
見どころが豊富で、歴史や資料の展示に興味を持てます。
ボランティアのガイドによる詳細な説明が楽しめる貴重な施設です。
韮山反射炉について尽力された江川氏の邸宅であり役場でもあった場所。チケットは韮山反射炉とセットがオススメです。中には昔の生活が感じられるような資料が数々展示されており、見応えあります。とは言え、さすがにどちらかと言えば渋い場所でしょうか。たまたま内庭公開されていて良かったです。
2024.10【入館料】単独券\t750円\t韮山反射炉との共通券\t900円36代江川太郎左衛門英龍(坦庵)は名代官として知られ、海防の必要性から沿岸測量、韮山反射炉やお台場の建設、わが国最初の洋式帆船建造や種痘の実施、パン製造など多大な業績を残した人物です。邸内には「パン祖の碑」もあります。※ちなみに韮山反射炉脇のお土産屋に「パン祖のパン」という再現したパンが売っています無料のボランティアガイドさんがいますので、時間にゆとりがあるなら説明を聞いたほうが良いです。ちょうど交代の時間だったらしく、少しだけ説明してもらいました。土間の部分が一部白くなっています。よく見ると結晶だと分かりますが、なぜかというと土間に「にがり」を混ぜてあるからだそうです。なぜ「にがり」を混ぜるかは①強度が出る②吸湿性がある③凍結温度が低く、再凍結しにくく凍害に強くなる からだそうです。それが冬季になると結晶化して白くなるのだそうです。こういったものはガイドさんに説明されないと気づかないですね。【概要】国指定重要文化財「江川家住宅(江川邸)」は、その江川家の住宅で、韮山役所は、その敷地内に設けられていました。1600年頃に建てられたもので、部分的には、より古い中世の建築部材も使われており、改築や増築が加えられ現在に至っています。ちょうな(手斧、釿)の跡が残る部材もあります。現在の江川邸は東側の平地部分と西側の天神山からなり、平地部分は東西約150m、南北約200m、直角三角形の形状を示す敷地となっています。邸内には敷地のほぼ中央に位置する主屋を中心に、表門、書院、東蔵をはじめ5棟の蔵が立ち並んでいます。内庭には池があり、その南西方向には韮山竹の群生が見られ、「明奉社」の社も鎮座しています。裏山の天神山には「鎮守社」と接して「稲荷社」、南西に「疱瘡(ほうそう)神」、頂上部には「紅龍稲荷」があり、下って石鳥居の脇には道祖神が祀られています。これらは重要文化財指定の物とともに邸内の歴史的環境の形成に役割を果たしております。【駐車場】無料駐車場。乗用車約30台、大型バス5台。
初めて訪問。韮山反射炉と共通券で900円。重要文化財だけあって見応えありの感動あり。今は銅板葺となってますが昔の茅葺き屋根を支えてきた梁り組?小屋組みが圧巻です!2階は物置納戸、3階は蚕を飼育なんて構造を今までよく見てそれが普通でしたがさすがお代官様のお屋敷。スケールが違います。平屋吹き抜け。なんて贅沢な。他にも見どころ満載でかつての韮山と言う土地の凄さ江川家の凄さに驚くばかりです。パン祖でもあるそうです。
すごく立派な屋敷でした。見事な梁や柱、よくわからない構造も圧巻です。昔の土間や台所、蔵や居間も再現されており飽きません。当時の道具や銃なども展示されていて見てて飽きませんでした。全体的にこじんまりした施設ですが私にはちょうどよい大きさでした。有名なパンや軽食、お茶などの飲食ゾーンが施設内にあるともっとゆっくり浸れてよかったかな、とは思いました。邸内庭はペットをリードで散歩させる事も出来たのも助かりました。建物内部は畳や板の間なので抱っこして見学ですが、ペットと一緒に入って見学することが出来るのも素晴らしい。反射炉の入場券とセットで買うとお得なのを別日に反射炉を見学してから知りました⤵⤵
小学校の課外授業で訪れて以来の再訪。子供の頃の視点とは違う角度から楽しむ事ができました。旗本のお屋敷とだけあって立派で数多くの貴重な物が展示されていました。大河ドラマなどのロケ地にも使用されているようです。そして嬉しいことに犬さんOK!建物内は小型さんなら抱っこすれば入れるようです。うちは大型さんでしたが、職員の方がとても親切で建物内を見学する時に一緒に外で待っていてくださいました。犬好きな方々で、敷地内にある水道での水飲みも遠慮なくととにかく優しかったです。江川邸横には広い無料の専用駐車場があります。徒歩圏内には韮山城跡と城池親水公園、江川家縁の本立寺もあるのでちょっとしたお散歩にも最適です。閑静な場所なので長閑で歩いていても気持ちがいいです。
韮山反射炉の建立者江川太郎左衛門の住居徳川御三家との密接な関係をガイドさんが詳細に説明してくれる公な指定文化財ではないので入館料のみで建物の維持管理をしているらしい…興味深い資料等もあるので、ぜひ一度は訪れてみたらいかがかと思う。
江川太郎左衛門さんの功績を知ることができます。反射炉、西洋砲術、幕臣、勘定奉行としてのご活躍や、数多の優れた人材を幕末に輩出されたことは知っていましたが、日本におけるパンの祖先であったとは。入口は、大河ドラマなどでも使われる場所ということですよ。
ガイドの方の説明が、とても詳しいので、聞いたほうがそれぞれの資料の意味がよく分かる。こんなところがパン祖なのだと驚き。韮山高校にも、関係あるらしい。
世界遺産の韮山反射炉に行ってから江川邸に行きました。共通券が有ります。駐車場で入口の方角が分からなかったので従業員と思われる駐車場の清掃されていました女性に訪ねますと「案内します」と言われ恐縮しながら、案内して頂きました。ありがとうございます🙏建屋の中の案内の方は、別な人てしたが、大変分かり易く丁寧に説明して頂きました。有難うございます🙏主屋は室町時代に建てられ、江戸時代の1600年前後に修理された部分が有って古くから江川家が住んでいたとの事です。江川家は伊豆韮山に名族で、遡ると「源氏」と血の繋がりも有るらしく「源頼朝」の平家に対する「挙兵」に応じて参戦し江川庄を賜ったそうです。江戸時代は伊豆が幕府の直轄地にになり代官として統治する事になりました。その後も代々徳川幕府の代官を世襲して「江川太郎左衛門」を名乗りました。その中で36代太郎左衛門「英龍」が代官の時は、幕末の時代で欧米列強がアジアを植民地化した時代で有った。「英龍」は蘭学を修得し渡辺崋山や高野長英等と交わり外国の社会情勢や国際情勢を理解し日本の置かれている立場を深く憂慮して、沿岸防備、近代的な兵制、西洋の砲術の研究や測量技術の研究で、東京湾のお台場の砲台や韮山反射炉の築造提案をして実行をしました。その他にも保存の効く食料として「パン」の製造等も日本で初めて行った人だそうです。パン協会を認めています。他にも江川塾での他藩の人材教育等など日本の国の為になる事を極めて多く行っていたようです。代官としても民政に心を配り「世直し江川大明神」と敬われいたとの事です。
名前 |
江川邸(韮山役所跡) |
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ジャンル |
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電話番号 |
055-940-2200 |
住所 |
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HP | |
評価 |
4.0 |
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江川太郎左衛門とは江戸幕府の韮山の世襲代官で、代々が太郎左衛門を名乗りました。その役宅がここで、1958年(昭和33年)には主屋が国の重要文化財に指定されています。江川家とは清和源氏・源頼親の流れをくむ名家で、平安末期に伊豆に定着しました。その後源頼朝の配下となり、以後前北条、後北条と主家を変えました。秀吉の北条攻めに際し徳川家康に従ったことで、以後伊豆・駿河・相模など天領5万4千石の代官に任ぜられたのです。しかし江川家はあくまで旗本であって大名ではありません。差配した5万4千石の土地はあくまで「幕府のもの」であって江川家の収入とは無縁なのです。江川家は蔵米取りとして幕府から150俵を受け取ったにすぎませんでした。江川家は明治維新にいたるまで38代続いた家柄ですが、特に36代目当主の英龍が有名で、単に江川太郎左衛門と言えば英龍を指すほどなのです。英龍は長崎で砲術家の高島秋帆に弟子入りし、近代西洋砲術を身に着けます。江戸に戻ると私塾「「江川塾」を開き、大鳥圭介、黒田清隆、大山巌、伊東祐亨など明治期に活躍する軍人を育てました。続いて37代当主英敏は反射炉を完成させ、38代当主英武は岩倉使節団随行員に選ばれるなど、江川家は歴史に名を刻みました。明治以降も東京大学名誉教授や一部上場会社の代表取締役副社長などの人材を江川家は輩出しました。血筋なのか教育なのか。はたまた育った場所なのか。凡人のみの我が血筋を振り返ると、ちょっと考えてしまいます。2025.1.12