なごり雪発祥の地、津久見駅。
津久見駅の特徴
ホームには津久見名産のみかんの椅子があってユニークです。
伊勢正三さんの故郷として名曲なごり雪を誇る駅です。
日豊本線の主要駅でサイクリングの立ち寄りスポットです。
駅前からは広大な海と山、そして迫力あるセメント工場が見渡せます。駅舎内は清掃が行き届いており、観光案内所も充実。つくみイルカ島へのアクセス拠点としても便利で、旅のワクワク感を高めてくれる駅です。
なごり雪発祥の地。移動途中寄りました。
駅メロ巡りの旅にて来訪。なごり雪の駅メロとみかんのベンチが良かったです。駅メロ目当ての方はご注意! 09:00〜17:00限定です。
昼まで駅員さんがいます。ICカードは対応していません。QR切符は対応しています。待合室があり、自販機があります。コインロッカーも数個あります。車椅子用の装置が階段についています。事前に連絡などしてみると良いと思います。
サイクリングで立ち寄りました。ロータリーに大友宗麟の像。隣のバス乗り場にトイレ。ロータリー横に回転焼屋さんかあるのみ。ちょっと寂しい。タクシーは常に2台は配車されているようです。
イルカのカバーで大ヒットした「なごり雪」。作詞作曲は、津久見市出身の伊勢正三(かぐや姫)。歌詞の石碑が駅に設置されています。
日豊本線主要駅の1つ。2022年9月23日から運用離脱した415系が止まっています。昔、大分駅にもあったみかん型のベンチがここだけになりました。電車が到着する5分前から、なごり雪が流れます。有人駅だけど、みどりの窓口は15時まで。ホームの屋根に、古いレールを再利用したものが使われてます。女子トイレは洋式が1つしかありません。駅にエレベーターが設置されていないため、車いすの人には、駅には珍しいリフトが設置されてます。
日豊本線の駅ホームには津久見名産のみかんの椅子が設置されてます。2022年12月3日現在引退し廃車待ちの国鉄鋼製415系が留置線に2編成8車両が留置されてました。
伊勢正三さんの故郷でもあり、名曲「なごり雪」は津久見駅で創られたとか?台風18号では大変な被害をうけ心配しています。こんな時こそネット力!人々の優しさが復旧に繋がることを願っています。
| 名前 |
津久見駅 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
3.6 |
| 住所 |
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津久見駅は、大分県津久見市中央町にある、JR九州(日豊本線)の駅です。大正5年(1916年)鉄道院が開設しました。昭和24年(1949年)昭和天皇の戦後巡幸があり、お召し列車が停車し、駅前奉迎が行われました。昭和62年(1987年)国鉄分割民営化によりJR九州が継承しました。島式ホーム1面2線を有する無人の地上駅で、橋上駅舎を有します。ホームは大きくカーブしていて、全長約260mのホームは、かつて寝台列車など長大編成の列車が停車した時代の名残です。名曲「なごり雪」は、津久見市出身の伊勢正三氏が当駅をモチーフに作詞・作曲した楽曲で、当駅では平成21年(2009年)から接近メロディとして「なごり雪」のメロディが使用されています。駅のある「津久見(つくみ)」という地名由来には諸説あり、有力なものとして「風の音が『ひゅーひゅー』と聞こえたことに由来する説」や、港湾を示す「津(つ)」に由来する説が挙げられます。中世の古文書にも「津久見」の表記が見られ、古くから天然の良港として知られていた地域です。戦国時代にはキリシタン大名の大友宗麟の支配下にあり、彼が最後の居住地として選び、天正15年(1587年)にこの地で生涯を閉じました。江戸時代に入ると、市域は臼杵藩と佐伯藩に分断され、統治されました。この頃から、温暖な気候を活かしたみかん栽培や、伝統的な椎茸栽培、良質な石灰石の採掘が始まっています。明治以降、大正5年(1916年)日豊本線開通が大きな転換点となり、陸上輸送の整備をきっかけに近代的なセメント工場が進出し、日本屈指のセメント工業都市へと急速に発展しました。また、保戸島を中心にマグロ遠洋漁業の基地としても全国にその名を轟かせました。昭和26年(1951年)津久見町・日代村・四浦村・保戸島村が合併して「津久見市」が誕生しました。豊後水道に面した豊かな自然と特有の産業で歩んできた歴史ある街であり、独自の鉱工業と水産業を骨格に、今なお豊かな伝統を繋いでいます。しかし、人口は昭和35年(1960年)の37,164人をピークに減少の一途をたどっており、現在は14,000人規模にまで減少して、人口減少率が大分県内の市区町村で3番目に高い約12%を記録しており、高齢化率も45%を超えていて将来性は非常に厳しい状況となっています。「津久見(つくみ)」という地名は、かつてあった豊後佐伯藩の北海部郡(きたあまべぐん)津久見村に由来します。明治22年(1889年)津久見村・津久見浦・千怒村・八戸村が合併して、津組村が発足しました。大正10年(1921年)津組村が町制施行・改称して津久見町となりました。昭和8年(1933年)津久見町・青江町・下浦村が合併し、改めて津久見町が発足しました。昭和26年(1951年)4月1日 - 津久見町・日代村・四浦村・保戸島村が合併して、津久見市が発足しました。