水分神社で感じる古のパワー。
建水分神社の特徴
創建は紀元前92年、重要文化財の本殿を有する神社です。
堀り下げられた歴史と、美しい境内が魅力の聖地です。
楠木正成を奉る南木神社も境内にあり、由緒あるスポットです。
境内に駐車場が3ヶ所あります。国道309号線から入りますが奈良方面から来た場合、Vの字の角度で入るので切り返しが必要かもです。入った後もかなりの急勾配なので注意です。駐車場は絵馬堂の裏手と境内と境内の奥の3ヵ所です。簡易トイレが絵馬堂の横にあります。建水分神社階段を上るので階段がキツイかたは一番奥の駐車場からスロープがあります。御祭神は、天御中主神(あめのみなかぬし)天水分神(あめのみくまり)罔象女神(みつはのめ)国水分神(くにのみくまり)瀬織津姫神(せおりつひめ)です。
建水分神社たけみくまりじんじゃ(通称•水分神社 すいぶんじんじゃ)本殿:重要文化財創建は第10代・崇神天皇5年(西暦前92)で、この時新して金剛葛城の山麓に水神として奉祀されました。延喜元年(901)の「日本三代実録』には、叙位緊進の記録があり、延長5年(927)の『延喜式一神名帳一』に記載のある式内社です。古くから皇室の御崇敬が極めて篤く、第96代・後醍醐天皇は建武元年(1334)補木正成公にあして、山下の水越川の畔にあった社殿を現在の山上に選し、本殿、拝殿、鐘楼等を再営させられ、延元2年(1337)神階正一位の極位を授けられました。霊峰金剛山の総鎮守で、古来、付近18ヵ村の産土神であると共に、累代この地を本拠とした補木氏の氏神でもあります。本殿は三殿から成り、中殿に一間社春日造、左右両殿に二間社流造を配し、各殿を渡廊で連結するという全国でも他に例をみない様式で、明治3年に大阪府の神社建築として初めて特別保護建造物(国室)に指定され、昭和25年には重要文化財の指定を受けました。◾️御祭神あめのみなかぬしのかみ[中殿〕天御中主神(宇宙根源の元始神で天地創造と万物生成の神)あめのみくまりのかみ[左殿〕天水分神(天の水を施し分配する神)みつはのめのかみ岡象女神(水を主宰する神)くにのみくまりのかみ〔右殿〕国水分神(地の水を施し分配する神)せありつひめのかみ瀬織津媛神(罪機を祓い清める神)◾️御由緒創建は第十代・崇神天皇五年(西暦前九二)で、同天皇の御宇天下磯疫にみまわれ百姓農事を怠った時、諸国に池溝を穿ち農事を勧められ、この時転して金剛葛城の山籠に水神として本祀せられた。延長五年(九二七)修撰の『延喜式ー神名帳ー』に「建水分神社」と記載の武内社である。また延喜元年(九〇一)撰上の『日本三代実録』には叙位累進の記録がみえる。世々皇室の御崇敬極めて篤く、第九十六代・後醍醐天皇の御代に至り、建武元年(一・三一円楠木正成公に勅して、元は山下の水越川の畔にあった社殿を現地山上に遷し、本殿、拝殿、動機等を再営させられ、延元二年(一三三七)神階正一位の極位を授け給うた。当社は霊峰金剛山の総鎮守で、古来より付近十八カ村の産土神であると共に、累代此地を本拠とした楠木氏の氏神でもある。正成公は勅を奉じ征賊の軍を起こすに当たり、祈念篤く「久方の天津朝廷(あまつみかど)の安かれと祈るは国の水分の神」と詠まれた。ときに織田信長は河内国攻略に際し、当社領をく没収し社頭は一時衰退したが、豊臣秀吉は再び田地を祈祷料として寄進し、深く崇敬するところとなり、旧に復するを得た。なお大鳥居の「正一位水分大明神」、の額は、後醍醐天皇家筆と伝えられ、正成公の満男である正行公が奉納された木額(宝物)の表面が摩滅した為、宝永二年(一七〇五)前大納言葉室(藤原)頼孝卿がその聖筆をなぞり、金銅製にて模造したものである。明治六年付近十八カ村の総鎮守産土神の故を以て郷社に列し、明治四十年神饌幣品料供進社に指定せられ、氏子区域内十七の神社を合祀し、大正二年府社に昇格した。また正成公再営の本殿は三殿からなり、水分造とも称される。中殿に一間社春日造、左右両殿に二間社流造を配し、各殿を渡廊で連結するという全国でも他に例をみない様式である。構造の細部も優秀巧緻で建築上の模範であり、明治三十三年に大阪府の神社建築として初めて特別保護建造物(国宝)に指定され、昭和二十五年には重要文化財の指定を受けた。へ非公開)摂社の南木神社(なぎじんじゃ)は楠木正成公を祀る。延元元年(一三三六)正成公が湊川で戦死されると後醍醐天皇その悼措限りなく、翌二年(一三三七)御親らその像を刺ませ合い公と縁故深き当社境内に祀り、その誠忠を無第に伝えしめ給うた。さらに次代の後村上天皇より「南木明神」の神号を賜った。元禄十年(一六九七)領主の石川総茂も正成公を尊崇し、傾積した南木神社社殿を再建した。しかしこの社殿も昭和九年の大風害(室戸台風)により考れ倒れて崩壊し、現社殿は昭和十五年官幣社建築に準じて設計再造営されたものである。末社の金峯神社(きんぶじんじゃ)は本社拝殿の北脇に鎮座し、由緒創建は詳らかでないか皇室の御祖神であり、日本人の総氏神でもある伊勢の神宮の御祭神、天照大御神を奉斎する。また当社紋の菊水は楠木氏の家紋としても世に知られ、その名の如く上半分が菊、下半分が水の流れを表す。紋様の由来には諸説あるが一説に、皇室御紋である菊は後醍醐天皇より正成公のその忠誠に対し下賜され、水流は楠木氏が氏神として崇拝した当社が水の分配を司る水神。
御祭神,天御中主神・罔象女神・瀬織津姫神まず始めに狛犬様が大きくて良いです。拝殿は静かで、鳥のさえずりが聞こえます。空気が良くとても気持ち良いひと時でした🌿瀬織津姫様ありがとう御座います。思えば毎回、有り難いお導きを頂きます。ありがとう御座います。
朝イチに参拝⛩️✨素晴らしいスポット✨階段を登って途中から前からパワーを感じる。無料の駐車場があるが、正直停めづらい。坂道を登った境内にもあるので、ゆっくり安全運転で。
宮司さんいわく帝国海軍の戦艦金剛の艦内神社で自衛艦こんごうにもお祭りしてあるとのこと。社務所に飾ってある鉛筆画の金剛の原画はここにしかない貴重なもの。
朝早く社務所もまだ空いてませんでしたが参拝してきました。社務所の道向いの所に車を止めましたが、もう少し参道を上がると神社前の広場奥にも駐車場となってました。紀元前に金剛山の水神を祀ったのが始まり。本殿は楠木正成公が造営した当時の物。鳥居の扁額は後醍醐天皇筆・・・がすり減って藤原頼孝がなぞって模写したのだとか。金剛山鎮守と言うことで戦艦金剛にも分祀されています。
静かで落ち着いた良いところでした☺️駐車場へは急な坂なので、運転苦手な方は注意して下さいm(_ _)m駐車場は上がって左右有りますが、左側をおすすめします。右側は出るときに、少し狭く坂になっているので、車幅感覚が分かりにくく車高の低い車は、段差にも気を付けて下さいm(_ _)m
とても静かで美しい神社。また参拝したいと思いました。御朱印をいただくのは下の社務所です。お守りもそちらです。社務所は上り坂の途中にあります。
水仙の丘見たあとに行きました。楠木正成ゆかりの地なので神社もそうでしたね。
名前 |
建水分神社 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0721-72-0534 |
住所 |
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HP | |
評価 |
4.3 |
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ちょうど秋祭りの直前で近くの道の駅では地車の練習をされてました。静かで良い神社です。