知波夜比古神社で神楽殿の感動を。
知波夜比古神社の特徴
JRの三良坂駅からすぐの好立地にあります。
住宅地の中に位置する静かな神社です。
三次の式内社三社の一つとして歴史があります。
神楽殿には敦盛最期や須佐之男の大絵馬の他、楠公桜井の決別と熊谷陣屋の制札があります。この制札が知波夜比売神社の絵馬の謎解きに役立ちます。本殿裏回廊には厳島神社の三盛亀甲紋、10月下旬なのに参道に桜と不思議な力が働いているかも。
JRの三良坂駅近く、住宅地の斜面の奥にあります。式内社の知波夜比古神社の論社。陽当たりの良い緩かな斜面で明るい雰囲気の境内です。
三次の式内社三社のうちの一つです。階段を登る必要がありますが、かなり近くまで車で登ることができます。
| 名前 |
知波夜比古神社 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
0824-44-3539 |
| 評価 |
4.5 |
| 住所 |
|
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知波夜比古神社(ちはやひこじんじゃ)。広島県三次市三良坂町三良坂。式内社(小)論社、旧郷社。【祭神】知波夜比古神(乳速日命) 市杵嶋姫命(合祀)大年神 国常立命 天照大御神 宇迦之御魂神 宇気母智命 火産靈神 素戔嗚命資料によると、創祀年代は不詳。『藝藩通志』によれば、天孫瓊々杵尊が日向国に降臨する際、当社の御祭神である知波夜比古神は、三種の神宝の御箱を持ったという。そのため、知波夜比古神を祀り、その山を御箱山と称した。あるいは、御神体を箱に納めて祀ったために、御箱山と称した、とも。一方で、当社の御祭神は乳速日命(ちはやひのみこと)であるとも。『先代旧事本紀』にある饒速日命の天降りに随伴した32神のうちの1柱。『双三郡誌』では、乳速日命の子孫が当地に土着、祖神を祀ったもの、としているが、「布野村の知波夜比売神社とは父子又は夫婦の関係ある神なるべし」ともする。三次郡の式内社「知波夜比売神社」は三次市布野町の知波夜比売神社に比定されているが、現在の御祭神は、広端連・麻績連などの祖とされる乳速日命とはあまり関係ない。戦国時代の永禄年間(1558年-1570年)、三吉氏が妻神の知波夜比売命の御神体を奪取したので、現在地の400m西方の山中に小祠を建てて隠宮としたという。江戸時代前期の万治2年(1659年)、火災に遭い、社殿は焼失。小社を建てて祀っていたが、天明6年(1786年)、伊藤左馬之助重基が再興した。三谷郡38ヶ村の総社、三渓郡惣社となった。正徳(1711年-1716年)、享保(1716年-1736年)の頃にも再興の機運があったというが、発起人の死などで延期されていた。明治4年(1871年)、式内社「知波夜比古神社」は高杉町の同名神社に認定され、当社は終戦まで式内社とは認められなくなった。明治23年(1890年)、今の社殿を再建した。大正11年(1922年)、字箱山の村社厳島神社、字段の多遠山神社、字溝口の榎田神社、字宮沖の沖森神社、大字三良坂内各地の荒神社を合祀、昭和4年(1929年)には郷社に列した。とあります。