ボヤーリンの大砲、神社で歴史探訪。
左内神社(阿米都瀬氣多知命神社)の特徴
旧ロシア帝国のバロック艦隊防護巡洋艦の大砲がある神社です。
神名帳に記載される阿米都瀬氣多知命神社の論社の一社です。
梅名川を挟み、右岸には別の神社が位置しています。
左内神社(さないじんじゃ)。静岡県三島市中島。式内社(小)阿米都瀬気多知命神社(あめつせけたちのみことじんじゃ)及び、文梨神社(ふみなしじんじゃ)の論社、旧村社。主祭神:阿米都瀬氣多知命資料によると、梅名川(殿川)を挟んで、東岸に当社、西岸に右内神社がある。当社と右内神社は「三島大社御門左右ノ神」であり、三嶋大社の随神門として、下田街道の左右に鎮座していたもの。旧社地は、現社地から北東300mにあったが、明治19年の火災により焼失。翌年、現在地に遷座した。旧社地は、手無(テナシ)という地名。昔、若侍が夜更けにここを通った時、鬼女が現れ、若侍を襲った。そこで、鬼女の手を切り落としたが、夜が明けると、そこにあった地蔵の左手が、田の中に転がっていたといい、手無の地蔵と呼ばれたという。この手無(テナシ)は、テテナシの訛で、父無し(父梨)を意味し、式内・文梨神社の文梨は、その父梨の誤植だと考えられ、その論社だ。また、当社は天地宮(アメツチノミヤ)とも称しており、式内・阿米都瀬氣多知命神社であるという説もある。現在の祭神は、その阿米都瀬氣多知命となっているが、三嶋大社御門の神として、櫛石窓神(くしいわまどのかみ、右内神社の御祭神)とする説もある。とあります。
グーグルマップのナビで行くととんでもない道を通らされます。簡単な道は県道141号沿いの弁当屋さんの近くに中島公民館の看板があるのでそこを入ってまっすぐです。東から西に行く感じです。駐車場も少しあります。
祭神は阿米都瀬氣多知命(あるいは豊磐窓命)で、別殿に山神社(大山祇命)・社宮司社(社宮司大神)が祀られています。旧社格は村社。境内社は山神社(大山祇命)で小さな石祠。由緒は次の通りです(静岡県神社志)。社伝には.本社は古く天地明神(あめつちのみょうじん)又は阿米都知神社(あめつちじんじゃ)とも称し、同村字梅名鎖座右内神社と共に、三島大社左右御門の守護神として、下田往還を挟みて左右に相対して鎮座まします。当社地は君澤郡中島村字園田であったが、明治十九年二月火災に躍りて建物悉皆烏有に帰し、翌廿年四月現地に御造営申したのである。増訂豆州志稿に依れば、往古三島大社、上津島(今神津島)より伊豆牛島御上陸の際、稲生澤郷柿崎武山権現より、左内、右内の両神迎謁し、先導して田方郡田京深澤に到り、更に現今の三嶋に遷御し給ふ、その時より両神は御門の守護として相対して鎮座すと。社殿にては本社こそ延喜式田方郡阿米都瀬気多知命神社なりとなす。(因に他の神社に比定する読もある)正徳五乙未年五月廿八日上梁文に左内之神社,文化十四丁丑年三月上梁文に天地宮又阿米都瀬神社と見ゆと云ふ。明治六年九月村社に列す。明治四十年六月二十一日神饌幣帛料供進神社に指定せらる。
旧ロシア帝国のバロック艦隊防護巡洋艦ボヤーリンの大砲が置いてある神社。別名、阿米都瀬氣多知命神社(あめつせけたちのみこと)元々は静岡県企業局東部事務所柿田川支所付近にあったが、現在の場所に移動した。
神名帳の伊豆國田方郡の項に記載のある文梨神社か、阿米都瀬氣多知命神社の論社の一社。社殿のうしろに御殿川が流れていて、右内神社とともに、三嶋大社御門を守る左右の神という位置づけ。三島市中84-6には地蔵堂があって、その場所が旧社地。火災で社殿を焼失し、明治20年に現在の地に遷座したという。御祭神は阿米都瀬氣多知命となっているが、櫛石窓命とする説もある。拝殿には大きく五七の桐の神紋が描かれていた。
梅名川(御殿川)を挟んで、東岸に当社、西岸に右内神社がある。当社と右内神社は「三島大社御門左右ノ神」であり、三嶋大社の随神門として、下田街道の左右に鎮座していたもの。旧社地は、現社地から北東300mにあったが、(県道141号を北上しファミマの先の交差点を右折)明治19年の火災により焼失。翌年、現在地に遷座した。
なせが、旧日本軍の大砲が置いてある神社。
| 名前 |
左内神社(阿米都瀬氣多知命神社) |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
054-261-9030 |
| HP |
http://www.shizuoka-jinjacho.or.jp/shokai/jinja.php?id=4402003 |
| 評価 |
3.8 |
| 住所 |
|
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2026年4月の週末に参拝。無人の小さな町の神社と言った佇まいですが、鳥居近くに駐車スペースも用意いただいており、参拝しやすいです。公民館が社務所を兼ねているようでしたが、そちらも休日はお休みの様子です。鳥居をくぐると、狛犬が控えていて、その先にこじんまりとした拝殿が構えられています。拝殿右手には、放水銃?火砲?なのか、鉄製の筒状のものが展示されていました。なお、拝殿裏には川が流れていて、拓けた雰囲気が落ち着きます。